わたしのみだし

見出しだけでも読んでください

男は漢字でものを考えたがる

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まったく〜!男は〜〜!!

確かに男はみんなキングダムが好きだし、ハンターハンターでは念だの凝だの漢字のオンパレード、果ては「見る」ことを「見(ケン)」などと言う友人もいるし(そいつは内モンゴルの血が流れているから、血が騒いでるんだなと思って僕は見てる)、「男は漢字でものを考えたがる」、あながち間違いじゃないのかもしれない。

 

適当な具材たくさん入れて煮込みうどん作って盛り付けてテーブルに持ってくときに、今このうどんを落として床にぶちまけたら計り知れない悲しみが僕を襲うな…と思った。

 

友達の家では、20歳の誕生日になったら開かずの扉の奥に来いと言われる。それは正真正銘開かずの扉で、彼は生まれてからずっとその家に暮らしていたが、扉の奥を見たことは一度としてなかった。扉は電子ロックになっている。力技も小細工も通用しない。彼はなんとか誕生日までに扉の開け方を見つけてやろうと、あの手この手で扉の解錠を試みる。

彼は前日から粘り強く扉をどうにか開けようと頑張っていたが、まもなく誕生日、どうにも開ける手立てが見つからない。このままでは誕生日の丸1日かけても開けられそうにない。焦る彼の目の前で、いとも簡単に扉が開いた。

日本の法律上、人間が歳をとるのは誕生日の前日の午後12時である。そのため、誕生日と呼ばれる日にはすでに1つ歳をとっている。誕生日を迎えたその瞬間、つまり20歳になった瞬間。自動的にセキュリティシステムに彼の権限が付与されて、彼も扉を開けられるようになるのだった。扉の奥のバーカウンターでは祖父母、両親、兄と姉がそれぞれのドリンクを手にこちらを向いて「誕生日おめでとう〜!」と祝福した。っていう夢をみた。権限て!ズコーッ。

悲しみ和らげる太鼓と経

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太鼓や経で悲しみが和らげられたことないな〜。

 

朝7時ごろ、松屋の朝メニューのひとつ、ミニ牛めしお新香豚汁セットを食べた。430円。

普段の僕なら「”ミニ”牛めし〜!?笑止!」と言って一笑に付すところ。しかし前日の雨が上がり今清々しい青空が広がるひんやりとした朝、僕も「小さくたって…いいじゃないか…」という気持ちになり、ついボタンを押してしまった。

ミニ牛めしお新香豚汁セットは最高だ。まずこれが一番大事なのだが、卵が付いていない。僕は卵が嫌いなので。卵が嫌いな話については人生でもう飽き飽きするほどしてきたのでここでは触れません。もしこれを読んで僕の卵嫌いを初めて知った人、今後僕と話をする機会があったとしても、絶対に卵の話題を出すんじゃない。その瞬間僕はあなたを「卵の話をする側の人間」とみなして距離を置く。

卵の話はもう二度としないとして、引き続き、ミニ牛めしお新香豚汁セットのよいところをお伝えしよう。ひとつ予想外だったこと。豚汁がデカい。思いの外も思いの外デカい。それでいて具がしっかり。ミニなんて言うから風邪ひいた細身の6歳女児が食べるようなスカスカのお子様セットかと思いきや、これ。「松屋の豚汁はすごいんやぞ!」と全国民に主張する松屋フーズマーケティング部門の渾身の一撃である。これには僕もおったまげ。なんなら寒いくらいの朝にこの豚汁は、この豚汁は、恋に落ちるぜ…。魅力は豚汁だけじゃない。牛めしも当然おいしい。牛めしと豚汁という組み合わせもいい。牛と豚。山の幸と山の幸の奇跡の出会い。僕は、君たちが大好きだ。

これは今回に限った話かもしれないが、牛めしがほんのり甘い。この味付けが店員のおっさんの独断によるものだとしたら、人の少ない朝だからワンオペで回しているこのおっさんが「こっちの方がうまいやろ」なんて勝手にやったことだとしたら、チクショウ、なんて素晴らしい世界だ。24年間生まれてからずっと閉じていた目が、ようやく開かれたような心地だった。

と考えていたところでイヤホンが外れそうになる。この前、つっても数ヶ月前にイヤーピース買って付けたのが、いまだにピッタリなのかどうかよく分からない。イヤーピースって買うと全部のサイズが入った状態で届くが、いらないサイズもある。特定のイヤーピースだけ買うような人はすでに自分に合うサイズ、少なくとも合わないサイズを分かっているのだから、全部のサイズ入れなくてよくないか?僕は小さすぎるのは無理だ。それでいて1000円弱したような気がするが、これはTシャツ買ったらXSからXLまで全部届いて値段が数倍、みたいな話じゃないか?は〜?ふざけるな!騙された!最低の朝だ、帰らせてもらう!ごちそうさまでした!!

 

アサギマダラ飛来

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アサギマダラってこれか。

アサギマダラと似た言葉にガラムマサラドグラマグラ、次点でナルガクルガがあります。これを利用して「アサムマグラゲーム」を考えました。

 

【アサムマグラゲーム】

2人のプレイヤーが向かい合い、先手と後手を決めます。先手をAさん、後手をBさんとします。この二人が交互に単語を言い合うゲームです。

まずAさんが「アサギマダラ、ガラムマサラドグラマグラ」のうちのいずれか一単語を言います。次にBさんがその単語以外の2つから一単語を言います。最後にAが残った単語を言います。三単語を全て言い終わるまでを1セットとします。セットが終わると、次の手番の人から新しいセットを始めます。これを敗北条件を満たすまで繰り返します。

自分のターンで「アサムマグラ」と言うことで、三単語のいずれかを言うことをパスできます。ただし、パスができるのは1セットの間にプレイヤーのうちどちらか1人1回だけです。

敗北条件は、すでに言われた単語やアサギマグラのような存在しない単語を言うこと、1セットで2回目のアサムマグラを言うことです。

 

テストプレイはしてませんがほどほどに難しそうなのでみなさん老若男女人数場所時間問わずあらゆる場においてアサムマグラゲームやろうぜって提案してみてください。

 

実家から送られてきたもののなかに、「チーズスティック黒胡椒入り」というのがあった。その下に「魚肉シートで黒胡椒入りチーズをはさみ食べやすいスティックにしました」と書いているが、魚肉シートでチーズを挟んでスティック状にしたのは調べるまでもなくこの商品が初めてではないし、なんなら黒胡椒入れてるのも他に見たことあるし、とするとこの商品の独自性は「魚肉シートでチーズをはさんでスティック状にしたものは食べやすい」という評価を下したことでしかないのだなあと思いました。誰も幸せにならない気づき。味は最高でした。素材にこだわったことを言えばいいのに。アサムマグラゲームやればいいのに。

色々考える詐欺犯、次は果物

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うわ、特殊詐欺被害だ!気をつけろ!

 

知らない事がいっぱいある。

自転車のパーツの1つにコグというものがある。自転車の、コグ。僕のかわりに漕いでくれ。

ダンスの振り付けって、音楽みたいに譜面化してるのかな。ダンスのことなんも知らん。振付師の頭の中にしかなかったらめちゃ不便そう。音階やコードみたいなルール?共通言語?があるんだろうか。それとも体操みたいに技名がある?「フライングデスピエロからの3こすり半フィニッシュ、一歩下がって田中ブリュッセル凱旋」みたいな。

近所に金を買い取る店があって、今日の買取価格が店頭に出ていた。大学までの通学路にずっとあったはずだけど、全然気づかないくらい、ひっそりと。ここで価格を見て、今日は売ろう、今日はやめとこうって決めてる人がいるんだろうか。

 

特殊なものたち。こういうところに詐欺が潜んでいるかもしれません。気をつけましょう。

 

特殊詐欺被害に気をつけて!

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特殊詐欺ってなんだ。型にはまらない詐欺が特殊詐欺だとしたら、僕は何に気をつければいい?しかも、詐欺に気をつけるのではなく被害に気をつけろとある。僕は…どうすれば…。

 

囲碁エストにYeHuaが帰ってきた。

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囲碁エストはしばらく遊んでないとランキングから名前が消える。YeHuaは5ヶ月ぶりにプレイして、囲碁エストでは多分この人しか成し遂げていない伝説のレート2900台を見せつけた。すごい。ちなみに僕はレート1800とかです。

強すぎるのってどういう気持ちなんだろう。僕もPUBGモバイルを頑張ろうと思ったのであった。

 

千代田線日比谷駅に修理だか改装だかが完了したホームドアが帰ってきた。おかげで、ホームドアの向こう側にある号車番号のマーク(④みたいな)が確認しづらくなりました。3号車のいちばん後ろのドアのところにペンキぶちまけて目印にしようかな。

号車番号という言葉をはじめて使った。車両番号というのもあって、それは電車のマイナンバーみたいなやつ。なかなか的確な言葉が出てこず、あやうく「何号車のマーク」なんてダサい言い方するところだった。

 

デブの小学生が、好きな食べ物のインタビューで背脂と答えている映像を持っている方がいたらご連絡お願いします。

職場でアダルトサイトが癖に

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知り合いが山で死体ごっこした時の写真を送ってきたので審査しました。山で死体ごっこするのが癖になってる人たちなので、レベルが高くて審査も難航しましたが、いよいよ結果発表です。

 

第3位

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選定理由:表情がずば抜けてよい。死因は転倒による頭部の強打。表情から察するに、水辺で調子に乗って足を滑らせたのだろう。死んでるくせに死んでると分かっていないようなすっとぼけた顔は並の人間にできるものではない。構図としても静の死体と動の川が左右に分割されていて美しい。服装は川や石などとのトーンが一致しており、こんなしょうもない死に方でも偉大な自然の一部なのだという主張を感じる。

 


第2位

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選定理由:死体表現のひとつの到達点。天へと召される魂を克明に描き出している。
写真としても、大きく白い石とそのまわりの影や黒い服のコントラストが最も目を惹くように計算されている。顔はほとんど白トビしてしまうほどだ。この白トビにより人相を取り払い、「人間における死」に限らない純粋な「死なるもの」の表現に転換することで、死体表現において鑑賞者が死を自分のこととして捉えられないといういわゆる「三人称の死」問題を乗り越えている。これまで死体表現は死を私のものとして体験する(=一人称の死の表現を目指す)向きで発展してきた。この写真は死体表現シーンにおける新しい時代の夜明けを告げる暁鶏である。
ただ、純粋な死の聖性を求めるあまり、その生々しさの表現がなおざりになっている。服がめくれて枯葉の張り付いた腹がのぞいていれば優勝も狙えた作品だった。

 


第1位

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選定理由:本物の死体だから。
 

あとこちらはドルイドドルイドにそっくりなお相撲さんの腹です。

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最近はほかにも、LAUNDRYって書かれたTシャツを着てコインランドリーに行ったり、雨の日は近所のメロンパン屋さんがポイント2倍だったりしました。ストームチェイサーという職業があることも知りました。

 

おつかれさまでした。

今やすっかりシニアの社交場

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アクセントが「す、シ、社」にくるので口ずさむと心地いいです。「ので」とは言いつつも、なぜアクセントが「す、シ、社」にくると口ずさんだときに心地いいのかは知りません。究極的には「なぜ?」に解答はない。無知の知無知の知ってなんだ?

 

学科の同期が東急ハンズでやってるマニアフェスタに、マニアの一人として出展するらしい。卒業研究の延長でそんな声がかかったという。研究って、何も知らない人に見せたら全部マニアックなことだよなあ。彼しか知らない研究の魅力を存分に広めてほしい。時間があったら行ってみようかな。

 

「整理・管理されていないものや体験に対するマニア的視線」ってのがあるよな〜という話。息をすることを例にとる時、「整理・管理された」とは、息を吸うにあたってわざわざ人体の仕組みを意識させない人体組織の状態のことだ。マニア的視線とは、にもかかわらず人体や呼吸法について研究する人の目だ。「ものや体験」とは何かとか、「〜に対する」とは何かとかの説明は勘弁してほしい。

 

誰だったかが「世界が数学化するほど、数学は意識されなくなる」と予言した。なるほどその通り、おかげさまで僕は習った数学をほとんど忘れてしまった。

同じように「世界が整理・管理されるほど、マニア的視線は失われる」と言えないだろうか。数学の仕事のひとつはルールを簡潔に記述(整理)することだからだ。「ものや体験」が生産者によって十分に整理・管理されていれば、「どのように使うか」「どのような効用があるか」という、私と「ものや体験」との界面についてだけ知っていればいい。

 

ちなみにコンピュータの世界ではこの界面のことをAPIと呼ぶ。さまざまなアプリケーションが実際どのような仕組みで動くかは知らないし知る由も無いけど、とりあえず「このように使えばこのように動く」という仕様は決まっている。PUBGモバイルのアイコンをタップすればPUBGモバイルが開くし、射撃ボタンを押せば発砲される。エンジニアはなぜそのように動くか?が気になって仕方ないマニアと言える。

 

あるいは、だれかが整理しているのではなく、どんなに不思議なことも僕たち自身が自分の中で整理してしまうのか。洗濯機がどうやって回るのか全く知らなくてずっと覗き込んでいたことがあったが、そういえばいつのまにか気にしなくなった。僕の世界はどんどん整理されて、カチコチになっていくのか…などとどうでもいい哲学にはまり込んで勝手に悲観するわけではない。物事が整理されることで、また新しいことを見つけられるし、消費しきれないほどのコンテンツが次々生まれる現代からは整理されきったルーティンの中で暮らす未来は想像できない。

 

この話、別にオチがあるわけじゃないです。終わり。

 

冒頭で「『大学生の時の』学科の同期が〜」とは言えなかった。卒業しても大学生みたいな生活してるからな。今週末には大学の一室でボードゲームをやるし、本当に大学を卒業できているのかあやしい。少なくとも「大学生」は卒業してない。いつまでも若いつもりでも歳はとるし、あの部屋もいずれシニアの社交場になるんだろうな(老衰で死ぬ直前まで大学に忍び込んでやる)。