わたしのみだし

見出しだけでも読んでください

トロントロン商店街を疾走

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トロントロンはただの地名らしい。キャッチーすぎる。

川南町のwikiより↓

 

 

中心地域は通称「トロントロン」と呼ばれている。この名の由来として次の2つの説が唱えられている。

西南戦争の際に敗走する西郷隆盛の一行が、ぬかるんだ地面を「トロントロンとしている」と言ったとする説
湧き水があり、水の音が「タランタラン(トロントロン)」と聞こえたとする説

 

 

いずれにせよ!

いずれにせよだよ!

 

 

町の中心部を平田川が流れ、町の北端部を名貫川が流れている。 町名の川南はこの名貫川の南に因む。

 

 

まあ川の南だから川南町!って名付ける人たちだもんな…。

 

 

夢の話しま〜す。

「他人の夢の話クソどうでもいい」とか言う人は帰れ!踵を返せ!そんな奴がブログを読むな!

 

乃木坂のレッスン終わりに齋藤飛鳥が寂しそうな顔をしていたので、白石麻衣を含む数人のメンバーと共に帰ることになった。白石麻衣は小躍りしながら歩いている。僕は彼女たちとまだそれほど仲良くないので、軽い会話だけしながら歩く。ここはよく来る商店街らしい。ものが無秩序に無数に並べられた道を通り過ぎていく。どれもこれも白石麻衣の好きなものらしく、嬉しそうに「これはね…」と解説を加える。

次第に僕たち2人は他のメンバーに取り残されて、姿が見えなくなって…でも白石麻衣がそれを気にしている様子はない。笑いながら、道の真ん中に置いてあるお気に入りの食べ物や、脇に並ぶお店のエピソードを語ってくれる。あたりは暗くなっている。冬だ。もう木々に囲まれた田舎の小道にロウソクのような揺れて頼りのない灯りがあるだけ。

その調子でかなり歩いた。時々スキップもした。もうずいぶん人を見ていない。目に入らないだけか。いや見回しても誰もいない。隣にはずっと白石麻衣が居る。あらためて白石麻衣を見つめる。ここまでたくさん話したけど、白石麻衣白石麻衣だ。彼女の好きなものは知ったけど、まだ彼女にとって一番大事なことを聞いてないような、目の前にいるのに画面の向こうにいるような、薄くて厚い隔たりを感じる。

立体駐車場がある。これも白石麻衣のお気に入りのようだ。なんだってこんなものを。本来車で入るべき場所に、僕は乗り込んだ。白石麻衣が見送る。装置が作動する。急激な上昇と揺れ、驚いて飛び降り、急いで白石麻衣のところに戻った。彼女はいなかった。

 

代わりに、十数人の青服がいた。小型のトラックから荷物を降ろしたり、たむろして息をついていたり。彼らの一人がおつかれさまと声をかけてくる。荷物をまとめてバイト代を受け取ってねと導かれる。よく見ると、彼らは僕が以前バイトしていた運送会社のトラックドライバーたちだった。そのうちの一人は一度会った覚えがあり、向こうもああと気づいて、やはり荷物とバイト代についての指示をくれる。

なにかまずいことをしているという焦りはあったが、なかなか状況が飲み込めなかった。必死にあたりを見回して、しばらくののち察する。彼らは『白石麻衣の好きなもの展』の準備をしていた。

本来立ち入り禁止の場所に、僕はズカズカと入ってしまっていた。焦りが強まる。顔も見られてしまった。このバイト代も僕ではなく別の人がもらうはずだ。まだこの場に現れていないから発覚していないだけだろう。遅かれ早かれ、僕がこの数時間に起こした不法侵入等々の罪が明るみになる。何か手はないか?

僕は顔見知りのドライバーさんに、お腹が痛い、ここから出たところにトイレはないかと尋ねた。出口からすぐ右のビルの一階で借りることにする。親切なことに、いやバイトに逃げられないように?、ドライバーさんもついてきてくれる。まずいな。

しわくちゃな老夫婦の不動産屋だった。トイレを借りようとするも、キツい顔の婆さんに「うち、トイレはお貸ししてないんで」と拒まれる。爺さんが貸してあげなよと言い二人は揉めだしたが、僕はすぐにごめんなさい結構ですと断り、ドライバーさんにも近くにトイレがないか探してきますと言い残し、有無を言わさずその場を去った。

街は京都のような雰囲気だ。往来の賑わいはありつつ、突然静かな場所もある。右に左にやたらめったら進んでいくと、大きな庭園のような池と竹林の中に出た。こんなところ、どこをどう見てもトイレは無さそうだが、お腹が痛いというのはつまらない嘘だから、なにも問題はない。それどころか出るものも出ない気分だ、どこへ行こう?

もうどうしようもないなと振り返る。バイト代は受け取らなかったから、まだ罪は軽いだろう。罪を犯すつもりもなかったのだが。あのドライバーさんも、僕が誰だったか黙っていてくれるかもしれない。でもこんなにモヤモヤするなら、次は逃げなんかせず正直に言おうと思った。

 

 

以上、夢うつつでトロンとしたときにだけ現れる、トロントロン商店街の話でした。おしまい。

スカートを上げて露出、逮捕

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知識の露出狂なので、全く需要がないのに特に良かった技術書の紹介とレビューをします。この半年で20冊近く読んでいる。えらい。とりあえずRubyとWeb関係の一部。続きはまたいつか。

 

 

Ruby編】

 

プロを目指す人のためのRuby入門 言語仕様からテスト駆動開発デバッグ技法まで (Software Design plusシリーズ)

 

 

とてもおすすめ。全くのゼロからプログラミング始めます!って人向けの本ではない。しかしそんな本は他にいくらでもあり、むしろRuby初心者が中級者になるために必要な本があまり無かったので、やや踏み込んだ内容を扱ったこの本はとても価値がある。これを読んだら次は以下の3冊を読むといい。

 

 

オブジェクト指向設計実践ガイド ~Rubyでわかる 進化しつづける柔軟なアプリケーションの育て方

 

爆おすすめ。この本を読むと、「メソッドってメッセージだわ…」という気持ちになる。ひとつのアプリケーションを拡張したりリファクタリングしたりで話が進んでいく。かなり実用的なアドバイスにあふれているが、はじめにもあるようにあくまで「著者のやり方」なので、これを読んで自分ならどう設計するかを考えることが大事。というか勝手に考えさせられる。すごい本。

 

メタプログラミングRuby 第2版

 

メタプログラミングRuby 第2版

メタプログラミングRuby 第2版

 

 

激・おすすめ大明神。いまこの瞬間からあなたはこれを読むしかない。他のこと全部忘れちゃってさ…。超一流のRubistたちが使うRubyの真の力はこの本に全て詰まっている。厚みは大したことないくせに非常に歯ごたえがあるので時間をかけてじっくり読んでほしい。動的にメソッドを追加したり、無いメソッドを呼び出すことができるようになる。しかしそのようなメタプログラミングな部分はこの本の一部でしかなく、Rubyのメソッド呼び出しやコアプログラムに対する理解も深まる(とてもシンプルに見えてくる)し、後半はRailsのコードを読み解くというこれ以上なくありがたい内容になっている。僕はこの本を読んで、ソースコードを読むことに恐れがなくなった。人生が変わります。ぜひ。

 

Rubyによるデザインパターン

 

Rubyによるデザインパターン

Rubyによるデザインパターン

 

 

とてもよい。デザインパターンを学ぶことのメリットは言わずもがなだが、この本の素晴らしさはRubyという動的型付け言語で、柔軟な実装方法を示してくれることだ。

またデザインパターンが淡々と紹介されるのではなく、「このパターンにはこういうメリットデメリットがあるからこういうときはこのパターンを使うのがいい」みたいなこと言ってすぐ次にそのパターンの説明をしてくれる。パターン同士の関係がわかってよい。絶版だが図書館で借りて読むべし。

 

 

【Web・一般】

 

プロになるためのWeb技術入門」-――なぜ、あなたはWebシステムを開発できないのか

 

「プロになるためのWeb技術入門」 ――なぜ、あなたはWebシステムを開発できないのか

「プロになるためのWeb技術入門」 ――なぜ、あなたはWebシステムを開発できないのか

 

 

ウェブサーバーの仕組みがざっくりわかる。ウェブサーバーの発展の歴史を追いながら説明するのはGood。ただ、後半はJavaPHPの具体例が豊富だったが、僕がそれらの経験がなかったので読むのにやや苦労した。しかしプログラム部分は流し読みでも全体的な話は分かるようになっている。

 

 

コーディングを支える技術-成り立ちから学ぶプログラミング作法

 

コーディングを支える技術 ~成り立ちから学ぶプログラミング作法 (WEB+DB PRESS plus)

コーディングを支える技術 ~成り立ちから学ぶプログラミング作法 (WEB+DB PRESS plus)

 

 

プログラミングの発展の歴史や言語間の比較を通して、さまざまな概念についてより理解が深まったと思う。教養書的な立ち位置で、これを読んだからといって明らかに昨日までのコードが変化する訳ではないが、例えば新しい言語を学んだり他の本を読むときに内容を理解しやすくはなるはず。

 

リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

 

リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

 

 

言わずと知れた名著。この本の内容は錆びることがない。ユーモアたっぷりで読みやすい。全員読め!というかこの本読んでない人と仕事したくない!

白い!太い!真っすぐ!

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最近AbemaTVで日村がゆくという番組のアーカイブをダラ〜っと観ている。5月だか6月だかの第3回高校生フォークソング選手権を観て、崎山蒼志すげ〜ってなった。そのころ一度バズってて僕もちらっと聴いて、へ〜すげ〜な〜と思ってたけど、また思った。それからYouTubeで別の曲を聴いて、ぷぁ〜すげ〜と思った。また思った。

 

↓すげーやつ

 

崎山蒼志 KIDS'A キッズエー 弾き語り 『heaven ヘブン』 オリジナル in クリエート浜松ロビーライブ - YouTube

heaven

 

誰もがある人の言葉の中

頭に咲いた少しの希望と

ヘブンとかコミュニケーション

など 優しさを含めてみたりして

 

誰もがある人の言葉の中

頭に咲いた少しの希望を

ヘブンとかイニシエーション

など 優しさを含めてみたりして

 

High Touch して割れる毎日で

太陽を体内の内臓まで燃やして

ジャンプしてんだ ずっと嫌いなものから

探してる魔法など

すべてからdappiしたい12月の夜

 

黄金の撃鉄に触れて

一発でも撃ち込んでみたいな

この世界の中で in the end

navy blue

 

High Touch して割れる毎日で

太陽を体内の内臓まで燃やして

ジャンプしてんだ ずっと嫌いなものから

探してる魔法など

すべてからdappiしたい

 

美しさが動脈の走り方に

敏感に反応して

今朝 体の中踊る

月の下では無重力な嘘

 

黒い色をした水道は

哀しさを浴びる

シャワーのようで

 

黒い色をした水道は

哀しさを浴びる

シャワーのようで

 

High Dive して沈む毎日で

太陽を体内の内蔵まで燃やして

天に届かないんだ 嫌いなものも

好きなように この街から

逃げてしまえばいい

 

High Touch して割れる毎日で

太陽を体内の内蔵まで燃やして

ジャンプしてんだ ずっと嫌いなものから

探してる魔法など

すべてからdappiしたい12月の夜

 

灰になって世界を循環して

悟って星になる

そんなあいまいなイニシエーション

いらない

 

番組ゲストのカクバリズムの二人の大ファンだったっぽいから、同じカクバリズムキセルの曲も聴いてそう。歌詞から歌い方まで雰囲気がすげ〜似てる。

 

僕の歌詞の解釈は次の通りです。

 

誰も彼もヘブンとかコミュニケーションとかイニシエーションとかいう言葉に希望や優しさを見出している。天国に行けば幸せになるとか、人と会話をすれば楽しくなるとか、大人になればもっと自由になるとか、それらが救いであるかのように口にする。

それが救いであるのはなぜか。今が苦しいからだ。

体の内側がその熱で燃えてしまうほどに、良い感情も嫌な感情も巨大なエネルギーで湧き出してくる。逃げ出したくもなる、魔法で解決したくもなる、けれど満ち溢れる力になることもあるじゃないか。

内なる熱を失って水道のように冷たく同じ道を進むとき、人々も自分も哀しみに満ちている。

もし救いの言葉たちが、この熱から逃げ出してあるいは諦めて、燃え尽きて灰になって不感症の悟りの境地を目指すことを促しているのなら、自分は耳を貸さない。どうすればいいのかわからないけど、きっとこの内なる熱を外に打ち出して、殻を破って大きくなってみせる。

 

まあ歌詞の解釈は人それぞれだと思う(と言わせるレベルなのがすげ〜が)ので各々やってくれればいいんですが…。

 

僕が一番すごいと思うのは言葉の使い方だ。

詩ってまあ色々あると思うんですけど(それはそう)、大抵はなんか心を揺さぶる感じがする。複雑なクロスワードパズルを解いた時の快感に似ている。

 

僕は、良い詩は自分のもつ言葉のネットワーク(パロール)の再構築を迫ると考える。全く離れた場所にあった言葉と言葉が、いまや分けては考えることができないほど接近する。

言葉と言葉が知らない形でつながる瞬間は、子どもの小さな言い間違いにどきりとさせられる瞬間に似ている。いまググったら「何者だ!」を「誰者だ!」と言うとか、「『みつばち』って『うえきばち』の友達?」っていうのが出てきた。かわい〜!こういう時に、詩が何にでもなれることを実感する。

 

言葉には、概念を広げる使い方と狭める使い方がある。

ある時には、肉じゃがとか、おばあちゃんが作った夏野菜たっぷりカレーを食べるときの満ち足りた気分になる。またある時には、薄味のウィダーインゼリーを飲んでいるような物足りない気分になる。なぜか。

言葉は、それ単体で沢山のイメージをはらんでいる。太陽は、熱くて、赤くて、強くて、大きくて、怖くて、暖かくて、眩しい。わざわざ言及しなくたって、僕たちは勝手にそんなような太陽をイメージする。このイメージは、無限に広がっていく。一方、言葉がある使われ方をすると、イメージを狭め、指定さえする。

詩が心に響くのは、この勝手にまとわりつく言葉のイメージが、書き手によって巧みに誘導され、増幅され、あるいは消音され、結果として聴き手が思いもよらなかった概念を聴き手自身に発見させるからだ。下手な料理人ではこうはいかない。素材の味を生かせず、同じ味付けで誤魔化す。トマトは砂糖を振らなくても甘いのに。

 

では具体的に概念を広げる言葉の使い方とは何かというと、まあよく分からない。そもそも概念を広げることの効用は、広がった概念を用いて新たな接続を受け手自身が発見することにあるので、書き手自身がどうこうできるものではないような気がする。が、接続を発見しやすくする方法は間違いなくある。種自身が根を伸ばせるよう、畑をやわらかく耕すように。

 

似たイメージの言葉を連続する。

言葉と言葉がある意味において協力し、繋がり、蓄えられ、詩が編み物のように強度を持ち、膨らむ。言葉のネットワークにおいてスモールワールド現象が起きる。一見関係のない言葉と言葉の距離が小さくなる。

High Touchと太陽とジャンプ、太陽と燃やすと黄金、割れると体内(体を割らなければ見られない)、太陽と月と星、動脈と循環、水道と沈む。

 

反対のイメージと対比する。

対比は二項対立ではない。二項対立は、二項のどちらにも関わりを持たない立場からの評価だ。人間はあらゆる対立二項のどちらかに馴染んでいるのであり、好んでいるのであり、あるいは単に語順や声色その他に引っ張られている。現実の要素が理論的な対立を崩す。あらゆる二項において同等の対立などありえず、必ずどちらかにイメージの重心が寄る。極端に言えば、明るいイメージを好む人は、昼と夜という二項を「昼と昼でないもの」とみなす。どちらに重心があるかはあまり重要ではないと考えるが、便宜上これらを順に主項と補項と呼ぶならば、主項に対して補項が提示されることは、「主項ではないもの」すなわち「無数にある何か」への意識を顕在化させる作用を持つ。「〇〇ではないもの」なる無限のイメージを主項のすぐ隣に置き、思わぬイメージの連結を促す。ヒヤリとさせる。多様になる。

太陽と月、好きと嫌い、希望と哀しさ、美しい動脈(鮮やか・内にある)と黒い色をした水道(濁った・外にある)。

 

助詞のいたずらを。

助詞は、そのまわりの言葉を関係づける。「は」は、主部と術部のなんらかの関係を暗示している。「助詞のいたずらを。」と言って文を終えれば、助詞のその先の術部を想像する。補う。接続を試みる。

助詞によって性質は異なる。重みを変えることも、概念を広げるものも、狭めるものもある。

歌詞からの引用。

誰もがある人の言葉の中

頭に咲いた少しの希望と

 

誰もがある人の言葉の中

頭に咲いた少しの希望を

「希望と」と「希望を」は全く違う。前者は希望と並ぶ何かへの想像を掻き立て、後者は希望ではないものへのつかの間の空想旅行を経て希望そのものを再び照らし出す。土が耕されている。もはやこの希望は初めの「希望と」とは異なる。

形容詞もこの向きがある。「白い!太い!真っすぐ!」は、くりかえす形容詞によって、被修飾語への意識を強める。

 

結局。

伝えたい内容に向けて聴き手のイメージを狭めていく歌詞ではなく、聴き手自身に生まれてから今まで育んできた言葉のイメージを整理させながら伝えたい内容へと誘導する歌詞。これがマジですごい。ギターの技術もやばいし歌い方も自分の方法を確立していてやばい。それでいてこの曲を書いたのは中学生の時。はぁ〜バケモンだ。

 

稚内に、泊まると夜9時に集合かけられて宿泊者全員で松山千春の「大空と大地の中で」を歌わされる宿がある。そのあと酒が振舞われて、寝たい人から二階に上がって寝る。トイレが広い。二泊した。

強烈な経験だったから、寝るぞってときにたまに思い出す。寝ることと「大空と大地の中で」が切り離せない。最初のワンフレーズだけ歌って寝る。この前その状態になったので、内モンゴル人にボイスメッセージを送って寝た。

歌舞伎鑑賞教室「面白い」

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面白いと言うだけで面白いような気にさせられるなら世話はない。他にハマる言葉はなかったのか。歌舞伎鑑賞教室が面白いかどうかはさておき、何か気になるなって状態にさせるのがキャッチの役目だろう。好きの反対は無関心、嫌いってのは可能性がある。ブログで取り上げるあたり、かなり関心は持ってると言えるような気もするが。

 

乃木坂46ソート - 乃木坂46 データセンターをやったら、〇〇〇〇が最下位になった(このブログをみた本人やファンを傷つけるのは本意ではないので隠します!配慮がすごい!)。この結果は僕自身意外だったが、よくよく考えてみれば〇〇〇〇にさほど関心がないことに気づいた。無関心とは恐ろしいと思った出来事だった。

 

結局。酔ってる自分が好きで、酔わせてくれる人が好き、みたいな。

夢の中の僕が「僕もみんなも、相手の言葉を受け取って、それをどう料理できるかっていう自分の味付けに面白さを感じてますからね。素直に言葉を楽しめないんですよ、かわいそうですよね。」って言ってて(文脈略)、起きてうわって思って書き留めた。他の人は知らんけど、少なくとも見出しで遊ぶ僕じゃん。かわいそう。

 

松屋のラインからキムカル丼とネギ塩豚カルビ丼の50円引きクーポンが届きました〜 はい勝ち〜。素直に喜びましょう!と言っても、「素直に〇〇」という形式を文章中に再び引き出すことによる曖昧な効果を楽しんでいるのであって、50円引きクーポン自体を素直に喜んでいるわけではない。そう。僕は…素直に喜ぶことなど……。

 

 

 

中学生が書いた廃村の記憶

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夜明けか…。

 

…俺の名は《紅朱雀・アーネスト・狂死狼》

俺の故郷、”二度と存在しえない”あの世界まほろば-について、此処に記しておく。腐った世界の為に書くんじゃない。俺は俺の贖罪の為に…書かなければならない。急げ。我が愛すべき堕天使ルシフェルの血が忘却の彼方へ流れ消えてしまう前に…。

 

大翼歴四百年二ノ月の初めに遡る。エル・ゼロの悲劇が間も無く世界を覆わんとしたあの瞬間、と言っても何のことだか分かるまいか。エル・ゼロの悲劇には、俺とルシフェル以外の誰も気づいてすらいなかった。気にすることはない。”それ”は平民の認知空間ではなく、《オトロ・レイア》におけるエントロピーの僅かな揺らぎでしかなかったのだから。

 

細かいことはいい。兎に角、俺はエル・ゼロの聖戦を生き抜いた。死闘の末、俺がエル・ゼロの心臓を砕いたことにより、カオスの支配は拡大をやめた。しかし、かつて《九頭龍》の一人であった俺がコスモスの肩を持つとは皮肉なものだな……。

 

 

めんどくさくなったのでやめます。厨二ワードってすげー頭使わないと出てこないな。

走るカレー屋どこにいる?

f:id:t12u:20181101142629j:imageいとこの家で飼っていた犬の一匹が死んだ。僕によく懐いた犬だった。ノンちゃんと言う。もう一匹のダックスフンドは、突然いなくなった黒い友だちを想って泣くのだろうか。僕は別に泣かなかった。悲しくないわけじゃない。

僕の実家は結構広くて、お盆や正月には親戚一同、といっても13人くらい?が集まる。もちろんノンちゃんも私も家族だもんねって顔でいた。実家に帰るタイミングがいとこの家族とずれてしまって、ノンちゃんにはかれこれ1年くらい会ってなかった気がする。

これがもっと身近な人だったら、僕は泣くんだろうか?多分、連絡が来ただけでは泣かない。たまにやってくるぼんやりした時間に泣く。本当か?それも含めて、何が起こるかわからない。死ぬことについては考えるだろう。ちょうど今みたいに。

 

祖父はつい先月米寿を迎えたが、そのときは住みなれた家ではなく介護老人保健施設にいた。家に帰れるまでリハビリをする施設。柏駅から乗り換えて数駅のところにある。祖父と会う回数は、流石にノンちゃんより多かった。施設に入ってからは特に。そういう意味ではより身近といえる。

師匠さえ走り出そうとする季節だ、当然カレー屋も走るが、祖父はリハビリも振るわず車いすに乗ることが増えている。本人もしきりにここから出たいと言う。まともにリハビリしてたら、歩いてここを出られるようになる前に多分死んじゃうから、今すぐなんとか脱出したいと。僕は、死んだら天国まで歩いて行かなきゃだから、どっちにしろ歩けるようにならなくちゃと言っておいた。元気なおじいちゃんが見たい。しかし体のあちこちがボロボロで、痴呆も入った祖父が、かつてのように振る舞うのは難しいだろう。

 

バスの中で眠くなり、力を抜き頭をだらんと倒して外を見ている。並行して飛ぶ飛行機が宇宙に向かうロケットのようだ。実際には横に進むものを横に見たから上に向かっていくように見えただけで、なんなら飛行機は着陸態勢に入っていて宇宙との距離は開くばかりだが、僕もつかの間宇宙行きのバスに乗った気になった。

そんな簡単に宇宙に行けるわけがない。あんなに羽ばたく鳥でさえ、数十メートルが関の山なのに、羽ばたきもせず、フォトショップの空をドラッグで移動するように飛ぶ怠惰な飛行機が宇宙に行けるわけがないのだ。バスで寝落ちそうになっている僕は言わずもがな。自分の足で歩けるのに。結局、初の宇宙飛行機の打ち上げは二階建てのアパートにぶつかって失敗に終わった。

 

かかる夕日を弾くiPhoneが、薄く照らす知らない広告の女。常磐線の車内には、他には広告が貼られていない。すっかりウェブ広告に取って代わられている。斜陽産業だなと思った。

絶望、死にたいから前向きに

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「絶望して死にたいからこそ前向きに考えよ!がんばろ!ね?ファイッ!」みたいな内容かと思ったら「絶望で死にたい状態から立ち直っていま前向きになれました」っていう記事だった。そりゃそう。前者の記事鬱加速させまくり。

 

家で結構な音量で音楽流しがち。これは外にどのくらい漏れているのか。いままで何度もちらりと頭をよぎった考えだったが、よぎるままにしていた。が、さっき何でもやっちゃうもんね俺何でもやっちゃうもんねモードになったので、玄関の外からBluetoothのスピーカーをいつもの音量で再生した。すごく聞こえた。まいったな〜。でも前向きっ!

 

ちなみに一昨日の何でもやっちゃうもんね俺何でもやっちゃうもんねモードでは深夜パンツ一丁で郵便受けの中身確認しに行った。メルカリで買った本が届いてた。

その前の同モードではメルカリで本買ったけど買った後に初版だって気づいて即第2版を買った。いずれも600円だったが、松屋のブラウンソースハンバーグ定食と同じ値段と考えればとんでもないやっちゃうもんね度だ、これは。返せ!俺のブラウンソースハンバーグ定食を返せ!

 

相変わらず技術書しか買ってないが、そもそも技術書ってなんだよと思った。今。Live Thinking。そして生きてる。ゆえにデカルトリスペクト。