訂正(4/14 追記)
4/10の中東情勢に関する関係閣僚会議(第3回)を受けて、この記事が前提としている内容に間違いがあることがわかりました。よってこの記事の最終的な推測も間違っています。詳しくはこちら↓
t12u.hatenablog.com
(追記終わり)
ナフサを取り巻く混乱
イラン戦争開戦からはや一ヶ月以上が経ちました。日本でも影響が出始めていて、まずX上で製造業の方たちの嘆きが見られた後、多くの石油化学系メーカーが値上げを発表という報道。シンナーや建材の不足はテレビでも取り上げられるほど目立ち始めました。
その原因の一つはナフサから作られる製品の供給不足です。ナフサはあらゆるプラスチック製品の原料となる無色透明の液体で、石油コンビナートで原油を使って生産されます。日本はナフサの実質ほとんどを中東からの輸入に頼っており、ホルムズ海峡が事実上封鎖された今、ナフサの供給懸念が深刻になっています。
そんな中、高市首相は5日Xで以下の投稿をしました。
これはTBSの番組『報道特集』に出演した境野春彦氏の発言「間違いなく今の状況が続いたら6月には詰むんですよ、日本」を念頭に置いた投稿だったようです。これを受けて報道特集はX上で釈明を行っています。
一体どちらが正しいのか、X上では水掛け論のような状態になってしまっています。
そこで、首相の投稿や政府発表の資料等をもとに、現在の政府および首相のナフサの需給状況に対する認識をなるべく数値で探ります。僕はその影響の大きさゆえにこの危機にかなり関心がありますが、とはいえ3月まで石油化学業界のことなんて何も知りませんでしたし、推測も多分に含んでいますので間違いもあるかもしれません。あしからず。
まとめ
- 高市首相は、経済産業省の発表と整合性の取れない誤った現状認識をしている。
- 報道特集出演の境野春彦氏は、川下製品の在庫を考慮していない。
- 6月にいきなり詰むわけではなく、半年後まで在庫を切り崩しつつ弱いところからジワジワ詰んでいく。
- 3月のナフサの国内生産量は平時の9割程度に減産していると思われ、一部で供給制限が始まっている。
ナフサの在庫が尽きるまで
首相の挙げた数字をもとにナフサの在庫が尽きるまでの期間を計算します。
- 原油からの生産量は110万kL/月。
- 輸入量は90万kL/月で、5月以降もこの量を確保できると仮定します。
- 消費量は280万kL/月。
- 在庫は187万kL(=280/30×20)とします。最新の石油統計速報によると2月末時点では140万kLですが、あちこちで20日分と推計されているので従います。
すると、在庫を使い切って生産が需要に追いつかなくなるのは、
(生産量 + 輸入量) × 月数 + 在庫 = 消費量 × 月数
(110 + 90)x + 187 = 280x
x = 2.34
より、約2ヶ月後とわかります。
4月3日に中東からの最後の原油タンカーが到着しました。輸入量からして最後のナフサタンカーは数日はやく到着していたと考えるのが自然なので、その時点から計算すると6月にはナフサの在庫を使い果たしてしまいます。
5月6月の輸入量が大きく増えることはないでしょう。4月の中東以外からの輸入量が倍というのは3月から必死にかき集めた結果であり、今後ますます高まるであろう価格や、世界中で増産の余地があまりないこと、多くの国が不足していることを考えると同量確保するので精一杯だろうと思います。
よって、境野春彦氏は在庫を使い果たすこの時を以て「詰む」と表現しました。
ナフサの在庫が尽きてから
この時点以降で消費できるナフサは、
(生産量 + 輸入量) / 消費量
= (110 + 90) / 280
= 0.714
より、平時の約7割となります。
原油精製量を増やしてナフサ生産量を上げるとしても、石油統計の高い月と比較すると高々20万kLであり、限界があります。それでも政府がナフサの在庫が4ヶ月分あると発表しているのは、ナフサをさらに分解した結果得られる川下製品の在庫があるとしているからです。ちなみに、ここではわかりやすさのために「ナフサの在庫が尽きてから」と書きましたが、実際にはナフサの在庫切れを待たずに川下在庫は適宜切り崩しているでしょう。
しかしこの点に関して、経済産業省と首相の説明は食い違っているように見えます。2者はそれぞれ以下のような説明をしています。
- 経済産業省:川下在庫が通常のナフサの生産と合わせて2ヶ月分補えるだけある
- 首相:川中在庫が単独で2ヶ月分ある
順に見てみます。
経済産業省:川下在庫が通常のナフサの生産と合わせて2ヶ月分補えるだけある
中東情勢に関する関係閣僚会議(第2回)の経済産業省提出の資料では
※①川下在庫の活用(約2ヶ月)と、②中東以外からの輸入と国内での精製(2ヶ月)で、
化学品全体の国内需要4ヶ月分を維持。
とあり、精製分に加えて川下在庫を活用した上で4ヶ月分が維持できると読めます。
この場合、実際の川下在庫に相当するナフサ消費量は
ひと月あたりの在庫の切り崩し割合 × 2ヶ月
= (1-0.714) × 2
= 0.572
となり、平時に生産される半月分相当の川下在庫があることになります。
首相:川中在庫が単独で2ヶ月分ある
しかし、首相の投稿では
ポリエチレン等のナフサから作られる中間段階の化学製品(川中製品)の在庫2ヶ月分(ナフサ精製が仮にゼロであっても需要を満たす供給ができる期間)
と述べられており、ナフサが全く無くなっても2ヶ月は賄えるそうです。これが本当なら、実際には原油から精製される分があるので、その不足分を在庫から切り崩すことで需要を満たせる期間がわかります。
ひと月あたりの在庫の切り崩し割合 × 月数 = 2ヶ月分
(1-0.714)x = 2
x = 6.993
と、さらに追加で7ヶ月は現在の需要を保てることになります。かなりのズレです。
繰り返しになりますが、首相は以下のようにも書いています。
また、足下では、国内でのナフサ精製の継続(約110万kl/月相当(2024年平均))に加え、中東以外からのナフサ輸入量も倍増すること(約90万kl/月相当)によって、昨年の平均的な国内需要量(約280万kl/月)を満たすにあたっても、前記の川中製品の在庫(ナフサ換算で約560万kl)を使う量も減らすことができ、その在庫期間は半年以上に伸びます。
たしかにこれで半年以上ですが、前述のナフサ在庫の切り崩しと合わせると半年どころか9ヶ月ほどあることになります。9ヶ月分もある場合、半年以上という言い方をするでしょうか?また、経済産業省が実際に需要を満たせる日数を説明しないということも考えにくいです。言うまでもなくそれが最も重要な数字だからです。
川中・川下
さらに、経済産業省が「川下在庫」についての説明をしているのに、首相は「川中製品の在庫」の話をしているのも食い違っているポイントです。ここまで当たり前のように川上・川中・川下という用語を使ってきましたが、これは説明が必要でしょう。それらが石油化学産業において何を意味するかを明確に定義しているソースを見つけることはできませんでしたが、大まかに「原油→ナフサ→エチレン等(気体や液体)→ペレット等(固体)→製品」という過程を経ることを前提に、それぞれ次の加工過程を指すと考えるのが妥当でしょう。
|
過程 |
| 川上 |
原油 → ナフサ |
| 川中 |
ナフサ → エチレン等 → ペレット等 |
| 川下 |
ペレット等 → 製品 |
経済産業省はペレット等を指して川下在庫と言っています。一方、首相は「ナフサ精製がゼロであっても需要を満たす」ようなものを指して川中製品と言っているので、応用性の高いエチレン等を含めて指しているように見えます。しかしエチレン等が常温常圧下で気体として存在するため冷却の必要があるなどして大量には保存しにくいことを考慮すると、これがナフサ2ヶ月を代替可能な状態で保存されているとは思えません。ここは完全に推測です。
また、首相の川中製品が仮にエチレン等とペレット等の両方を指していたとしても、そもそも在庫状況は製品によって様々であり、2ヶ月の需要すべてを賄えるとは考えにくいです。ナフサの分解も原油の精製と同じく複数の製品が同時にできてしまい、その割合はナフサの質や精製工場によりますが一定です。特定の製品が不足しているからといって、それだけを多めに作ることはできません。需要と完全にマッチした割合で分解されるはずもありません。実際、シンナーのように法律で大量の備蓄ができない製品はかなり早い段階から出荷制限がされており、製品ごとの在庫量の差が現れていると考えられます。また川中製品の品目は非常に多岐にわたり、現時点ですべての製品の在庫が2ヶ月分ありかつその確認がとれているとは思えません。やはり、ある程度のナフサ分解があった上で、補助的にこれらの在庫を放出しているというのが現在の状況でしょう。
- 首相の言うほどの川中製品の在庫があるならば、半年どころか9ヶ月保つ。
- 経済産業省は「実際に需要を満たせる日数」を説明していると考えられる。
- 多岐にわたる川中製品を2ヶ月分も保存しているとは考えにくい。
これらの理由で、この点に関しては首相の認識が誤っているのではないかと推測します。首相が経済産業省のレクチャーを表面的な数字だけで捉えてしまったのでしょう。川中と川下、これらの用語の定義の揺らぎは、現場の危機感と官邸の楽観論の乖離のひとつの現れではないでしょうか。
4ヶ月ではなく半年?
さらに先日、資源エネルギー庁の広報官から以下のような発言がありました。
資源エネルギー庁 細川成己中東情勢広報官
「ちょっと精査もしっかりして、数値も踏まえて考えてみたところ、実は、在庫が減るのをやっぱり抑えられるということなので、これまで全体で4カ月と申し上げていたところですが、減る量のペースが落ちることで、半年以上、在庫が持つと」
news.tv-asahi.co.jp
ナフサは消費量を減らすことで使い切るまでの時間を伸ばせるというわけです。多くのナフサ分解工場は3月中旬から減産に入っているので、すでに消費量は通常に比べて下がっています。
つまりこの発言は、石油化学工場が自主的に減産した結果の3月の正確な消費量が4月になって判明し、その数値で計算しなおしたら在庫の尽きるリミットが半年以上先と出たので、その値を「節約した結果の正常な消費量」のニューノーマルとして政府が追認した、ということを意味するのではないでしょうか。3月の消費量が実際どの程度か、4月30日に発表される3月分の石油統計速報を注視したいです。
ところで、政府がこのような正確な数値を伴わない情報発信をすると、「ナフサは足りているのに製品がストップしているのは誰かが買い占めているからだ」などといった誤解を生むことになるでしょう。もちろん買い占めは一部で起きているかもしれません。しかし実態は、ほとんど石油化学メーカー各社が産業の根幹が壊滅的な大怪我を受けないようにするために、今のうちからあえて小さな傷を作ることで耐えているというものです。
『日本全体として必要となる量は確保されている』という表現も気になります。その量とは一体何が何kLあるということなのか、手元にあるのか手に入る見込みなのか、政府の誰も正確な数字を言いません。これも実際の流通量が制限されていると考える理由です。ここで「必要となる量」がナフサの280万kL/月より少ない量であったら、今が通常通りだという政府の主張する幻想が崩れてしまうのです。まあしかし、そういう政府の思惑とは別に首相自身が状況を正しく理解できていないのでこのワンフレーズで誤魔化しているという可能性もありますが……。
現在のナフサ消費量推定
さて、エチレン設備の稼働率が落ちた今、ナフサの在庫が尽きるまでの期限が半年になるか計算してみましょう。
国内のエチレン設備稼働率推移を見ると、首相が計算のもとにしている2024年では平均して約80%程度の稼働があったようです。
また、設備維持の観点で最低でも7割前後の稼働率が必要とされるため、下限ギリギリで運転が続けられる見通しなので、減産した現在の稼働率を仮に70%とすると、ナフサの在庫が尽きるまでの月数は次のように計算されます。
平時の消費量 × 減産後の稼働率 / 平時の稼働率 = 減産後の消費量
280 × 70 / 80 = 245万kL
(生産量 + 輸入量) × 月数 + 在庫 = 減産後の消費量 × 月数
(110 + 90)x + 187 = 245x
x = 4.15
4ヶ月ちょっとです。これに2ヶ月分あるという川下在庫を足すと、半年以上という経済産業省の計算にぴったり合いました。
ナフサで「日本が詰む」のはいつなのか
Xでの投稿を見る限り、高市首相は状況を正しく認識できていません。残念ながらこれが日本の現在位置です。首相が当てにならないので、経済産業省提出の資料や発言にあたって政府の見解を解き明かしていきました。
現在はすでにナフサの消費量が平時の9割に落ちたモノ不足ニューノーマルの世界で、血を垂れ流しながら現場が生産調整をしているところです。政府はナフサではなくナフサ由来の化学製品の輸入も進めていますが、現時点でどれだけ調達できる見込みなのか数値では発表されていません。これをしばらく続けたのち、政府発表の通り半年後にはナフサおよび製品在庫が尽きて、ナフサ7割の世界がやってきます。少なくない製造業が倒産し、製品が身の回りから消えるでしょう。プラスチックがあまりに身近なので、ここに至ると一体どれほどの影響があるのか、想像だにできません。
そして、ナフサ7割を回避するまでの猶予は、実はほとんどないのではないかと思います。タンカーは中東との往復に45日程度かかること、ホルムズ海峡沿岸の石油関連施設が軒並み攻撃を受けていてしばらくは通常の輸出量が期待できないこと、タンカーの積荷には数日かかること、海峡が狭く世界中のタンカーが一斉に通れるわけではないことなど、理由はたくさんあります。それでも、問題の根本解決にはホルムズ海峡の通行再開しかないことは確かです。
ここでの話は日本のナフサの量的問題だけで、価格や流通の問題は考慮していません。材料費や燃料費の増分はすぐに価格に転嫁されるようになるでしょう。ものが少なくなり、ある地域では物が手に入らないことも起こり得ます。医療機関では診療報酬が固定されていて価格転嫁ができない。調達した原油の質の違いによって精製の歩留まりが落ちる。ナフサだけでなくLNGやLPG、肥料など、世界中でさまざまに影響があり、それはどこかで日本とつながっています。この複雑なサプライチェーンがいつどこで破綻するのか、僕には皆目検討もつきません。しかしマクロには、このままでは半年かけて段々とナフサ7割の世界になるというのは変わらなそうです。
なにより中東地域では今も痛ましい破壊が続いています。本当に一刻も早い終戦を望みます。