わたしのみだし

見出しだけでも読んでください

カメラを買った。

カメラを買った。FUJIFILM X-H2。レンズは XF35mm F1.4 R。とりあえずこれと誰もが言う神レンズで、換算50mmの単焦点。しばらくはこの基本の焦点距離で練習しようと思う。

 

 

大学に入った年の夏だか秋だか、僕がはじめて買ったのは PENTAX K-5 II というカメラだった。当時としては軽量でタフな一眼レフで、旅行に連れ回すカメラとしては良い選択だったと思う。しばらくキットのズームレンズで楽しんだ後、smc PENTAX-FA31mmF1.8AL Limited という長い名前の単焦点レンズを手に入れた。やや癖があるけど撮るのが楽しくなる最高のレンズだった。つけっぱなしでベトナム、フランス、チリ、アルゼンチンなど、本当によく持っていったものだ。

 

いつからか、そのお気に入りのレンズの鏡胴部分がガタついてきて、かなり使いづらくなってしまった。無限遠にピントが合わない。グラグラとはずれそうになるのでずっと押さえつけていなければならない。キットレンズに取り替えても、いまさらその写りには満足できない。荷物になるからと、次第にカメラを持ち出す頻度は減ってしまった。

 

6月末に PENTAX K-5 II で撮影。

 

数年が過ぎて先日、友だちの内モンゴル人が RICOH の GR3 というカメラを持っているのを目にする。それはポケットに収まるほど小さく、あまりにもよく映るカメラだった。こんなカメラがあるのなら、もうカメラが荷物になるなんて言い訳はきかない。ずんずんと写真への意欲が再燃してきた。

 

GR3 の写りは素晴らしいものの、いくつか欠点があった。まず、レンズ交換式でないこと、防塵防滴でないこと、それゆえか壊れやすいというレビューが多いこと、実際に内モンゴル人のカメラも一度壊れていたこと。長期の旅行に引っ張り回す僕の用途にはかなり心もとない。2台目としては最高のパートナーになりそうだが、僕にはもっとパワフルな1台目が必要だった。

 

あれこれ調べて考えるうちに、高いお金を出してまでカメラを新しくする必要は本当にあるだろうか、今持っている K-5 II は完全に使い尽くしたのだろうかという気持ちも湧いてきた。持ち出してちょろちょろと撮ってみると、やはり鏡胴がガタついて使い物にならないのだが、そのとろけるようなボケは見事というほかない。最高だ。こいつはまだまだ戦えるんじゃないか。修理に出す。見積もり44033円。これが新しいカメラを買う背中を押してくれた。

 

 

いくつかのカメラを検討して、FUJIFILM X-T5 に目をつけた。至るところで2022年最高のスチルカメラだと評されている。そして当然、X-T5 と同じセンサーとプロセッサーを搭載した、つまり同じ写りをするカメラ X-H2 を見つけた。X-H2 は写真だけでなく動画にも力を注いだ機種で、そのため X-T5 に比べて 100g 近く重いのだが、家電量販店に実物を見に行くとグリップがしっかり深く、怪物ほど手の大きい僕には握りやすい。X-T5 には外付けのグリップもあるが、数千円する上、グリップ自体が 100g ある。それならと、最終的にその握りやすさで決めた。X-T5 より 100g 重いが、K-5 II より 100g 軽い。さらにはフジフイルムは概してレンズが軽く、いままでよりトータル 200g くらい軽くなる。実際に使ってみるとこの違いはかなり大きい。

 

 

画像のファイルサイズの重さは別の問題としてのしかかった。APS-C なのに4020万画素もあり、JPEG でも 20MB を超える大きさになってしまう。RAW なら 50MB 超えがザラだ。せいぜいパソコンで見るくらいだったらそんなに大きい必要はない!というのはもちろんフジフイルム側もわかっていて、撮った時点で画像サイズを小さくして保存することもできる。ここに載せているのは L M S の3サイズあるうちの M で撮った画像だが、それでも 10MB を超えていてはてなブログへのアップロードの制限にかかるのでさらに縦横 50% のサイズに縮めている。気軽なスナップだったら最初から S で撮っても良いかもしれない。

 

 

いまのところファイルサイズ以外に大きな問題はない。僕の手が大きすぎるのでグリップがもっと深かったら嬉しいというくらいか。とにかく良いカメラだと思う。たくさん写真を撮ってまた詳細に良さを書きたい。

 

 

(LINEで配信される新聞社のニュースの見出しをタイトルにつけるやつはめんどくさいので無期限中止です)

バイビーと言って車で去る

ニシ浜でシュノーケリングするべく道具をレンタルしに行ったら、喋り出したら止まらない60過ぎくらいのおじさん(東盛さん、てっちゃん)に今は干潮だから危なくて泳げないよと言われて貸してもらえず、代わりに泡波の麦茶割りを一杯もらった。隣には2年間働かず釣りして食べてる具合の悪そうなつるっぱげのおじさん(名前を忘れた)がいた。飲んでから浜に出て、浜から戻って来たときにてっちゃんに家飲みに誘われた。とりあえず携帯番号を交換する。

今日は月曜から夜ふかし波照間島が放送される日だった。今月の頭に3日ほどクルーの取材があったという。てっちゃんは道具のレンタル業をしているが、同時に音楽を愛する男で、客を待ちながらギターの練習をしているタイミングで突撃取材を受けた。だから一、二曲披露した。それから何度かプロデューサーとのメールや電話のやり取りがあって、東盛さんのシーンを放送させていただきますという話だったのだが、放送日の今日の朝10時ごろ、そのシーンは放送しないことになったと電話が入った。てっちゃんはすでに、浮かれて多くの知り合いにテレビに出るぞと言った後だったから、怒り心頭で、しかし本人曰く根は優しいから表には出さず、静かにその知らせを受け取った。

テレビに出ないことになったという取り消しの連絡を方々にすることになった。この家飲みはてっちゃんの愚痴をぶちまける会であった。ビールとともに、てっちゃんの酔いと愚痴は加速する。人を騙すような真似をするなんて。俺は騙すか騙されるかだったら騙されるのを選ぶね。騙されても俺は平気だが、騙した奴は人を騙したことにずっと負い目を感じながら生きていくんだ、と何度言ったか分からない。僕は(てっちゃんが言うような状況も含意して)人を騙すような人と別の地平に存立することで相手の鼻をあかすという意味で「騙すやつを騙す」というようなことを言ったが、あまり伝わらなかったようだ。結局、20時過ぎに訪れたてっちゃんの先輩(仲底さん、シャマー=先輩のような、目上の人を呼ぶ波照間の方言)の家を出たのは翌1時のことだった。

てっちゃんとシャマーの関係は素敵だった。ふたりとも独身で、他にすることがないからと毎日のように会っている。シャマーは「今日だけは好きに言いな」とてっちゃんを笑って見ている。でも先輩らしく、度が過ぎた発言にはしっかり叱る。昔の沖縄では上下関係は絶対だったという。サトウキビ栽培が支配的な産業の島で、農家のおじぃおばぁにとって、てっちゃんは座ってギター弾きながら観光客と話す楽しげな男に見える。有る事無い事言われる。でも、干潮の時は危険だと言って貸せば儲かる道具を貸さなかったり、人の出会いがつながるのが好きなんだと言ったりと、てっちゃんにはてっちゃんの物語があって今の暮らしがある。シャマーはそれを分かっている。

23時過ぎ、東京に住むてっちゃんとシャマーの共通の友人から電話があった。番組は沖縄では0時半から放送されるが、東京は22時からで、タイムラグがある。先に結果を知った友人によって、やっぱりてっちゃんは出ていないこと、そのかわりシャマーの兄である波照間小中学校の校長先生と、2年働いていないおじさんが出ていたことを知る。それで、つければ映るテレビがあったのに、ちらりとも番組を見なかった。ベロベロのてっちゃんは軽トラで帰っていった。

追記:翌日、石垣島へのフェリー乗り場にてっちゃんとシャマーがいた(フェリー乗り場には石垣からの荷物を受け取るために島民が集まる)。つるっぱげのおじさんの名前は、こんちゃんだった。

それ誤解です!実は誰でもOK

先日、速読の話になった。個人的には、速読と読書は質的に異なるという直感がある。水の中みたいに、文にも抵抗がある。つまり密度があって、それは視線に絡みつく。速い泳ぎ方はあるだろう。しかしプールに入らずプールサイドを走るのは、いくら速くても泳ぐとは言わない。自由形でも反則だ。文字の中に飛び込むのが読書である。こう言って自分の遅読っぷりを正当化している。

泊まったゲストハウス(兼純喫茶)にスタッフおすすめの本が置いてある。なんとなく手に取った『モーメント・アーケード』は、100ページ程度の薄いペーパーバック。しかも中を開くと半分はハングルで書かれている。韓国の短編文学の訳書で、翻訳家志望のために原文も付してあるという、なかなかコアな本である。のっけからワクワクする設定で、いかにも面白そうだ。こじんまりとしたこの本紹介コーナーは、女性のスタッフさんいわく姉妹店の本屋の宣伝も兼ねているのだそうだ。

昼飯に蕎麦を食べた後、本屋に寄ってみる。入り口が奥まっていて目立たず、一度通り過ぎてしまった。引き返して入ると、8畳くらいしかない。うん、いい本屋だ。入って左手に、近所のブッククラブや(たぶん)本好きのおっさんとかがセレクトした本が置かれている。それぞれの個性が見える。他にも、絶妙に知らない面白そうな本がたくさんある。痒いところを掻かれている気分。密度の高い本屋に絡め取られていく。

じっくりと見て、結局『モーメント・アーケード』を買う。何かの縁である。薄さの割に…と思わないではない値段だが、読んだあとは韓国語の勉強をしている母に贈れば、遅い母の日のプレゼントに代えられるから安いものだと思った。荷物を増やしたくないのもある。そういえばさっきの蕎麦も味や量の割に高かったが、こちらは特に救いがない。

『モーメント・アーケード』をおすすめコーナーに置いたのは、まさにゲストハウスでさっき話したスタッフさんだった。置いた甲斐があった!と喜んでいて、僕も嬉しい。珈琲一杯注文して、読み始める。読み終わる。飲み終わる。ずいぶん短かった。しかし面白かった。本の真ん中にある訳者解説で、2019年の第四回韓国科学文学賞の中短編部門で(ほぼ異論なしの)大賞に選ばれた作品だとわかった。納得だ。

第10回日経「星新一賞」なるSF短編文学賞が作品の応募受付を開始したと、先日友達が教えてくれた。かつて僕が星新一を好んで読んでいたと知っていたからだ。短編か。実は、星新一ばかり読んでいた小学生の頃に短編を書いていたことがある。でもどこに出すでもなかったし、多くは星新一のパクリだった気がするけれど、ノートをいっぱいにしていた。それが今では短いブログを書くのがやっとの筆不精だ(あの熱意とノートはどこにいったんだろう?)。

一応、応募要件を読んでみる。一応ね。対象者に制限はない。字数は一万字以内。そうか。一万字ね。一万字なら頑張れば書けそうな気がしてくる(本当に?なぜ?)。僕は短編を書いたことがあるのだし(小学生の時だよ?思い直して?)。こういうわけで、素晴らしいアイデアがなぜか突然湧いて出てくるなら書き起こしてやらんでもない、という不遜な態度を数日前からこっそり隠し持っていたのだけど……。深く反省いたします。短編って、すげーわ。

誰でも応募可能な、第10回日経「星新一賞」の詳細はこちらから。 https://hoshiaward.nikkei.co.jp

制限された「最期の別れ」

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家族で車に乗って遠くのお寺に行った。険しい山と沢山の石仏があることで有名だ。20分くらい山の中の階段を登る。祖母も、僕の言う「あとちょっと」を何度も信じて。

300円払って本堂に続く道に入る。暗い洞窟を進むと、途中に「悩みを捨てる地獄箱」がある。『削ぎ落とし あなたの苦しみ・悩み事・嫌なことを紙に書いて地獄箱に入れてください。』という立て札もある。母と僕は何を書こうかと考えたが、祖母はすぐに「無いなぁ。それに、なんか余計なもんまで削ぎ落とされそうな気がする」と言って立ち去った。母ともども、にわかに怖い感じがしてきて結局何も書かなかった。祖母は強し。

住職の女性がルールに厳しい。「傘はこちらに入れてください!」「日本語わかりますか?傘は、こちらに、入れてください!」「写真は撮らないでください!入ったところに撮影禁止って書いてたでしょう?」と、有無を言わさぬ剣幕で注意に走り回っている。地獄箱の底にはきっと、「傘を傘立てに入れぬ者」「注意を聞かぬ者」「勝手に写真を撮る者」と書かれた紙が入っているに違いないと噂した。

「あんな風に注意されたら、この寺のこと嫌いになってたね」と母が言う。その時は迷わず寺の名前を地獄箱に入れていただろう。そして山門を抜けた瞬間、寺は爆発していただろう。

「普通、殺人とかしない」

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家の更新日のタイミングで引き払うことにした。つまり積極的な退去ではない。つるんと時間に押し出された。もちろん契約を更新して住み続けるという選択もあったが、そうしなかったのにも積極的な理由はない。積極的な理由などどこにもない。ただこうなっただけで、またそうならなかっただけだ。全部そうだ。1週間後から免許合宿に行くのも、免許を取りたくて取りたくて仕方ないというよりは、必要性や利便性や時間的都合といった様々の要素がうまい具合に重なった結果という感覚だ。実際、すぐに車を買うつもりはない。機が熟すのを待つ。

21時、都心からの電車は満員だった。僕は大きなバッグを背に負い、腹にも抱える。疲れたサラリーマンにとっては迷惑な野郎に違いなかったが、僕も引っ越しの作業で疲れていたから許してほしい。明日には成田発の早朝便で実家に戻るというミッションもある。だから今日のうちにここまで来た。そういうわけで今、背と腹と気とまぶたが重い。でも相対的に見て、僕は身軽だと思う。結婚や子供どころか彼女もいない。仕事もフルリモートでかなり自由にやらせてもらっている。家はない。持ち物もかなり処分した。

駅から1kmほどのネットカフェ(快活クラブ)に向けて歩く。ファストフード店のロゴは高く掲揚されてよく光り、信号機は赤に青に忙しい。それらすべてのうるさい色を夜の黒と煙雨の白が圧倒的に覆っている。広い道路だ。それでいて表情がない。田んぼも残る郊外で、どこから来たとも知れぬ車が現れてはどこかへ抜けていく様子は、街が見向きもされていないような感じがして寂しかった。この感じは去年の7月に施設に入っていた祖父が亡くなる直前にも感じた。東京と千葉のあいだというものはどこもこうなのか。

コンビニを見つけるといつもするように、その時もコンビニに入った。まだ欲しいものはない。しかし一度コンビニに入ってしまえば、あれがほしいとかこれがほしいとかが湧いてくるので、欲望にまかせて商品を買い、満足するという仕掛けだ。しかし今日は、ふと通路に立って奥を見やった。つきあたりのショーケースに入った飲み物、左右の陳列棚に並ぶパッケージたちが立ちんぼのように見えた。ギョッとした。彼女たちは物を言わないが、しかしすべてが計算されており、ギラギラと僕の関心を引こうとしている。体にまとわりついてくる。もっというと、マーケティングはこんなにも愛想をふりまいて僕を最終目的地にしているふりをして、実はそのまま通り過ぎて、しかも僕からなにかを(関心を、好奇心を)吸い上げ、奪い去っているのだった。僕は彼女たちのひとつの手段でしかないと感じられた。そうなると、もうそのおためごかしがすごく気持ち悪かった。コンビニを出た。いつものグミだけ買った。

ネットカフェに泊まるというのは僕には全く自然のことだが、そうではない人もいると承知している。夕方、用事があって友人の家に立ち寄った(4時間は立ち寄ったと言わない気がするが)。そこで改めてなぜネットカフェに泊まるのか聞かれた。まるでネットカフェに泊まるのが殺人と同等かそれ以上の行為だと思っているような態度である。自然なので大した理由は思いつかなかったが、コンビニでの一件を受けて考えてみると、ひとつには店員にやる気がなさそうなのが心地いいのかもしれなかった。僕はこの人の何でもないという感覚。やる気のあるネットカフェ店員は世界のどこにもいないからね。友人とは他にも、ヘーゲル精神現象学の序文を音読したり、美味しい中華を食べたりした。ヘーゲルは気にいらないものを徹底的に緻密にこき下ろしていてかっこよかった。

カラオケルームがある場合は、実は(混雑具合にもよるが)そこに泊まるのがいい。ソファタイプではなくフラットタイプなら大の字にだって寝転がれる。なによりカラオケができる。3時間くらいぶっ通しで歌うと、のどが痛くなったり、痛いのを通り越して非常に調子が良くなったりする。くるりの『ハイウェイ』を歌って、終わり。

交際女性、男に別れ話すると

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20歳のころ休学して旅をした。「自分探しの旅ってやつ?」と訊かれることもあったが、そうだと答えるには手垢がついてむず痒い言葉だった。天邪鬼だから「自分以外探しの旅」と呼称していたと思う。

自分以外のものを見て聞いて、それらと自分との境界を見定めようとしたのだから、結局は自分探しということだ。フレームが切り取る写真の外側にも被写体は広がっている。僕はどこまで広がるだろう?と、そんなことを考えていた。御託はいい、いずれにせよ見て見ぬ振りをした大きな空洞は埋まらなかった。

好きなことをして選び取った今だと思われることが多い。「旅が好きだから旅をしているんだね」「鉄道が好きなんだね」「一人が好きなんだね」そんなことはない。流れ流されてここにいるだけだ。たまたま周りの人たちが素晴らしくて、鬼にも虎にもならずに生きてこれた。

休学を決めたのは建築学科の講義を受けはじめて半年のことだ。同じクラスの友だちが行くから、くらいの気持ちで選んだ学科で、特に建築への熱い思いがあるわけでもなかった。高校に入る時も大学に入る時も同じ学校から来た男は僕一人だったから、そのたび人間関係はふりだしに戻った。また一人になるのが怖かったのかもしれない。結局、建築への違和感が半年で襲って、休学になる。

このあたりのことははっきりと意識していたわけではなかった。流されて、どういうわけか休学することになったとしか言いようがない。しかしその頃の僕自身はこの休学を「選び取った今」であると信じようとして、「旅行したいから」という意味を割り当てたんだろう。その実、一年の期間のうち半分は実家で寝ていただけだ。

旅行中はすこしだけ写真を撮って文章を書いた。Facebookに投稿するといくらか反応があって気を良くしていた。チヤホヤされたい2歳児の欲求が満たされていく感覚。すごく甘い果実だ。しかしこの投稿もしばらくすると得られる快感が薄れたのかやめてしまい、だから僕はいまだにチリにいる。

当時付き合っていた人は、自分にかまってくれる都合のいい人間の代表だった。そんな感覚でいたんだ、休学中に別れることになったのも当然だろう。それからいくつか本を読んだ。「自分はみじめだ」という気を紛らわせるために、あわよくば助けてもらうために。そしてM・スコットペックの『愛と心理療法』という本に出会う。書名からして愛に悩める人に向けた本のにおいだ、しかしすぐに助けてくれる本ではなかった。

愛することは困難であるという論旨だ。困難だから、訓練する必要がある。愛の感情がある(=好きだ)からといって、愛していることにはならない。「自分のせいにする傾向」としての神経症と「他人のせいにする傾向」としての性格障害の手綱をとれ。厳しいが、自省して愛を実践するように促してくれる、正しく叱ってくれる本であった。僕は助けられようとしていたが、自分で自分を助けなければならなかった。

時は進んでついひと月前。5年ぶりの人に会った。現在のパートナーとの関係について悩んでいるようで、僕が(先述の女性と別れて一年くらいのころ、あるビルの屋上で)愛についての本を勧めていたことを思い出して、相談したいと連絡をくれた。深刻そうな文面だったので心配していたが、約束の日にはすでにある程度関係は修復していた。笑って楽しく飲んだ。この邂逅がきっかけになって、『愛と心理療法』との出会いと当時の気持ちを振り返ることになった。

フォード社が社員に休みを与えたのは、その方が効率よく働いてくれるからだった。現在の企業ではその上成長と呼ばれるニンジンをぶら下げて安く働かせることもある。愛していると言って自分に構ってもらおうとする僕も同じだ。あなたのためと言いつつ、結局は自分の利益を考えている。はびこる御為ごかしは悲しいが、さらに悲しいのは、この思考法が自分の深くに内面化されていると認めなければならないことだ。

自分に利するかという目でいると、他者は棚に並ぶ商品になる。比較してより良いモノを選ぼうとする。いま、自分は少なからずこのような目で人を見、人に見られている。個性をアピールしなければ、自分という商品の魅力を認めさせなければ、誰にも見向きされない。チヤホヤされない。

もちろん人間は商品ではない。この資本主義的な思考法を脱するために、「個性」なる語を捉えなおそう。これを「特定の個人の属性」というよりも、「人間は互いに異なるという種の性質」をあらわす言葉だと解するのが良いだろう。鉄は延性や展性があり、人間は個性がある。鉄は(幸いにも)個性がないので交換できるが、人間は替えがきかない。人間には個性があるんだ。

他者を愛するために、僕はどうすればよいだろう?わからないから書こうとしたし、わからないから書けなかった。今だって大した結びが思い浮かばない。でもここまでは書けた。これが現在地だ。

マスク忘れたら振り出しに

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久々に帰省した。8月誕生日の頃には高齢の祖母もいるし帰省は考え直してくれと言われたが、10月も終わりになるとコロナだろうとお構いなくどこへでも行くのが新様式になったらしい。政府も推奨している。

要は天邪鬼な質なので、僕は今日に至るまで一度もマスクを買わずにきたが、飛行機の搭乗にはマスクの着用が必須と言われてしぶしぶローソンに入った。事を荒立てるほど強い信条ではない。着け慣れないマスクがずっと気持ち悪いまま飛行機は着陸した。

風呂上がりにもってきた新品の歯ブラシをあけて歯を磨く。洗面台の右上、自分がずっと歯ブラシを置いていた位置には目薬が置いてあった。ポーチにしまうべきかちょっと迷ったが、すぐに、実家にいる間はここに歯ブラシを置こうと思い直した。

ベッドの上にパジャマがあるというので見ると、ヒートテックが置かれていた。もってきたヒートテックの上に重ねて着る。ヒートテックの他にはジャージのパンツが2着と、夏用の半袖シャツがあった。急に決めた帰省だったから、慌てて無い服を集めてきてくれたようだった。とはいえもっと他にあったんじゃないか?