わたしのみだし

見出しだけでも読んでください

「普通、殺人とかしない」

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家の更新日のタイミングで引き払うことにした。つまり積極的な退去ではない。つるんと時間に押し出された。もちろん契約を更新して住み続けるという選択もあったが、そうしなかったのにも積極的な理由はない。積極的な理由などどこにもない。ただこうなっただけで、またそうならなかっただけだ。全部そうだ。1週間後から免許合宿に行くのも、免許を取りたくて取りたくて仕方ないというよりは、必要性や利便性や時間的都合といった様々の要素がうまい具合に重なった結果という感覚だ。実際、すぐに車を買うつもりはない。機が熟すのを待つ。

21時、都心からの電車は満員だった。僕は大きなバッグを背に負い、腹にも抱える。疲れたサラリーマンにとっては迷惑な野郎に違いなかったが、僕も引っ越しの作業で疲れていたから許してほしい。明日には成田発の早朝便で実家に戻るというミッションもある。だから今日のうちにここまで来た。そういうわけで今、背と腹と気とまぶたが重い。でも相対的に見て、僕は身軽だと思う。結婚や子供どころか彼女もいない。仕事もフルリモートでかなり自由にやらせてもらっている。家はない。持ち物もかなり処分した。

駅から1kmほどのネットカフェ(快活クラブ)に向けて歩く。ファストフード店のロゴは高く掲揚されてよく光り、信号機は赤に青に忙しい。それらすべてのうるさい色を夜の黒と煙雨の白が圧倒的に覆っている。広い道路だ。それでいて表情がない。田んぼも残る郊外で、どこから来たとも知れぬ車が現れてはどこかへ抜けていく様子は、街が見向きもされていないような感じがして寂しかった。この感じは去年の7月に施設に入っていた祖父が亡くなる直前にも感じた。東京と千葉のあいだというものはどこもこうなのか。

コンビニを見つけるといつもするように、その時もコンビニに入った。まだ欲しいものはない。しかし一度コンビニに入ってしまえば、あれがほしいとかこれがほしいとかが湧いてくるので、欲望にまかせて商品を買い、満足するという仕掛けだ。しかし今日は、ふと通路に立って奥を見やった。つきあたりのショーケースに入った飲み物、左右の陳列棚に並ぶパッケージたちが立ちんぼのように見えた。ギョッとした。彼女たちは物を言わないが、しかしすべてが計算されており、ギラギラと僕の関心を引こうとしている。体にまとわりついてくる。もっというと、マーケティングはこんなにも愛想をふりまいて僕を最終目的地にしているふりをして、実はそのまま通り過ぎて、しかも僕からなにかを(関心を、好奇心を)吸い上げ、奪い去っているのだった。僕は彼女たちのひとつの手段でしかないと感じられた。そうなると、もうそのおためごかしがすごく気持ち悪かった。コンビニを出た。いつものグミだけ買った。

ネットカフェに泊まるというのは僕には全く自然のことだが、そうではない人もいると承知している。夕方、用事があって友人の家に立ち寄った(4時間は立ち寄ったと言わない気がするが)。そこで改めてなぜネットカフェに泊まるのか聞かれた。まるでネットカフェに泊まるのが殺人と同等かそれ以上の行為だと思っているような態度である。自然なので大した理由は思いつかなかったが、コンビニでの一件を受けて考えてみると、ひとつには店員にやる気がなさそうなのが心地いいのかもしれなかった。僕はこの人の何でもないという感覚。やる気のあるネットカフェ店員は世界のどこにもいないからね。友人とは他にも、ヘーゲル精神現象学の序文を音読したり、美味しい中華を食べたりした。ヘーゲルは気にいらないものを徹底的に緻密にこき下ろしていてかっこよかった。

カラオケルームがある場合は、実は(混雑具合にもよるが)そこに泊まるのがいい。ソファタイプではなくフラットタイプなら大の字にだって寝転がれる。なによりカラオケができる。3時間くらいぶっ通しで歌うと、のどが痛くなったり、痛いのを通り越して非常に調子が良くなったりする。くるりの『ハイウェイ』を歌って、終わり。