わたしのみだし

見出しだけでも読んでください

"深すぎても浅すぎてもだめ"

熊本

白い雲は群がってどれがどれだかわからない。空の彼方でうやむやになるまで一面、どこまでも続いている。一匹狼の黒い雲は飄々と漂い、渋滞する白雲たちを見下ろしているが、踏み潰されたチューインガムのようにみずぼらしく薄っぺらい。どんなに見つめても捉えようのない形もある。流線型もある。育ちざかりの積乱雲は遠く西日に照らされて固まっている。紫色に変色したそれは文字通り水晶の宮殿のようだった。だれでも自分が太陽から生まれたことを知っていて、ますます傾く太陽、サーッと色が変わり離れる光を惜しむ雲。飛行機が雲に突っ込んだのだった。僕は熊本についた。

島原

ゆとろぎの湯ではやや黄色いお湯がいっぱいに張ってあった。源泉の温度が低い。ぬるめの湯に浸かりながらプカーッと浮かぶ。爺さんが二人、となりの薬湯で話をしている。歯が全部抜けているのか子音も母音もはっきりせず、風呂場のエコーまでかかった長崎弁はいよいよ聞き取れない。ベトナム語だと言われたら信じる。僕はベトナムにいる…?いやいや、「ぬるめの温泉」と書かれた板を眺めて「ここは日本、ここは日本」と言い聞かせる。しかし今度は「ぬるめの」がグルジア文字に見えてくる。「温泉」だけを見る。これで何とか自分の居場所を忘れずに済んだ。居場所を忘れると帰ってこれないらしい。千と千尋みたいな話です。知らんけど。

長崎

一番安いゲストハウスに泊まった。長旅だから途中でどうしても仕事をしなきゃいけなくて、みんなが集まる部屋でひとりパソコンを広げた。宿泊客は10人くらい。半分は外国人だった。夜遅くになって酒を飲みはじめた。僕はパソコンを叩く。五ヶ国語をあやつる韓国人の大学生は、アマゾンジャパンに内定承諾書を出したらかなりのお金がもらえたのでそれで旅行している。元気な20代のお姉ちゃんだと思ってたらなんかのインストラクターで実はアラフォーだった。岐阜在住。僕がイヤホン越しに聞いたのはそれだけ。水道水さえ飲まなかった。仕事は進まなかった。

波佐見

長崎の人はとても優しくておしゃべりだ。寿司屋さんは大雨で室外機が壊れてエアコンが使えないの、暑いでしょごめんねと謝る。温泉の受付のおじさんは、僕のかわいいTシャツにインスパイアされて、自分たちのバンドTシャツのアイデアが浮かんだようだ。誰でもするすると僕の中に入ってくる。うらやましい。

佐世保

大雨が降っては止み降っては止みを繰り返している。友だちと飲んでいる時からだ。ドドドと帰りを心配するくらいの轟音だったが、すぐに止んだのでそれからは雨を話題にする客もいなくなった。いま暗闇で別れてネットカフェに向かう途中、たくさんの雨が落ちてきた。いちばん突然だった。四ヶ町の大きなアーケードにいたから濡れずに済んだ。僕はズタズタに濡れるのが怖くて、いつまでも薄くて硬い殻の中から激しい雨をみていた。

有田

有田焼を売る店がならぶのはひとつ隣の上有田駅とのことだった。もう有田で降りて電車も行ってしまったし、歩く時間はなく、タクシーで向かうほどでもなかった。かわりに九州陶磁文化館をオススメされた。次にギャラリー有田という喫茶店に行った。すべての壁に何百ものコーヒーカップが並んでいる。そこから一つ選んでコーヒーを淹れてもらえるシステムだった。たくさん焼き物に触れたから、電車で有田を出るころには前の座席から頭を覗かせるハゲも美しい文様に見えるようになっていた。

場所時間不明

波佐見で会った友だちをもう一度訪ねて、告白することにした。彼女は小中学の同級生だ。いつそうなったのかは分からなかった。それがはっきりと顕れたのは実家で寝ようとしたときだった。寝る直前と起きた直後、僕はものが考えられなくなってる時じゃないと決断できないことを知っていたから、その瞬間に相手の最寄りの有田駅に行く理由を無理やり作って書いて寝て、朝起きて(しばらくためらって)送信した。覚悟と言うにはあまりにも思いつきだった。会いに行く。ずっと水のように捉えようなく広がっていた体が、集まって、どろどろとして形を持ち、人のようになり、僕はようやく立ち上がった。体が重い。

夜明

夜明とは、久留米と大分を結ぶ久大本線の真ん中らへん、日田駅から久留米方面に一つ行ったところの駅だ。どうしようもない田舎駅だが、名前はかっこいい。この辺りの線路は三隈川に沿って流れていて、僕は三隈川の表情が好きでよく久大本線に乗る。 色は緑、正確には沈んだ翡翠だと思った。波はひとつもなく、誰も滑ったことのないスケートリンクのようだ。川幅は20メートルくらいに見える。穏やかさ。でも今この瞬間も、緩やかな大地をじっくりと谷に仕上げているところなのだろう。あっという間に列車は山に入り、川は見えなくなった。

鳥栖

旅行に持ってきた本がすでに2冊とも読み終わりそうだったから、駅近くのイオンみたいなやつの一階、TSUTAYA筒井康隆を買った。買ったくせにどうも読む気がしなかった。つまりただ本屋があったから入り、本屋に入ったから本を買っただけだった。セルフレジでの支払いで、主にバーコードの読み取りにまごついて3分くらいかかったものだから、げんなりして、それからはまだ読み終わっていない本を読むのも面倒になった。景色を眺めることにした。

佐賀

先週の大雨の影響は、ひとつには川の増水という形で見てとれた。明らかにいっぱいいっぱいで、川が川で溺れそうになっている。車窓から瓦礫を集めている重機を見た。どこかで何かが壊れた。でも稲や木々は青々と直立していたから、あたふたしているのは人間だけのようだった。

唐津

波佐見、有田、唐津と、有名な焼き物の名産地を3つも回ったことになる。その土地の窯のいいとこどりをして寄せ集めたような陶磁器お土産コーナーが必ずあって、でも唐津の滞在は乗り換えで30分も無いくらいだったから、手にも取らず急ぎ足で見て回った。波佐見、有田とは全く違うのが素人目にも分かった。三者についてざっくり言うと、波佐見はどの窯もデザイン思考というか、良い工業製品を目指しているようだった。有田は伝統的な匂いがして、難しい赤や金をふんだんに、とにかく技術と贅の限りを尽くした陶磁器が並んでいた。唐津は渋いこげ茶色のものが多かった。その色の中にもこんなに表情があるのか!と驚く。僕は唐津が好きだった。

伊万里

報われなかったとき悲しいから期待しない。でも何にも期待していなかったらこんな勇気は出ないはずだ。僕はどこかで何かを期待しているらしい、やっぱり。何にせよ、未来のことは考えないようにした。顔を見て言いたいことが言えるか、それだけを今の問題にしたかった。今日ずっと音楽を聴いて余計なこと考えないようにしたら、あっという間に充電がなくなった。しかたなく文字を書いて時間を潰している。

有田

顔に張り付いた笑いが剥がれなくて、なんと切り出せばいいか分からなかった。自分の足で改札に消えるまで、好きな人に好きを届けられなかった。本人を前にすると、蓄えていた何もかもがガラクタのように感じた。どう願っても僕の体は良い友人として振る舞う。楽しかった。よく笑っていたと思う。他に言い訳はない。「分かりました」人になれなかった泥人形はみるみる溶けはじめ、濁水になって流れていった。何度目だっけ。