わたしのみだし

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「なぜ私だけ生き残ったの」

引っ越した。

引っ越し代を浮かせたくて、何度かに分けて物を運んだり、友だちを使役して棚を作ったりした。手間はかかったが、かなりいい感じの雰囲気の部屋になったと思う。サンキューマイフレンズ。やまない感謝。

粗大ゴミは予約制と知りつつ、一週間後くらいなら予約できるだろと高を括っていたら、とんでもない、一ヶ月後だった。無理です。回収業者を予約する。次の土曜日に軽トラ詰め放題12500円で回収してもらうが、正気か?安すぎんか?いまだに信じられない。

一方、五年くらい前の引っ越しでは、これも最悪の計画性でもちろん粗大ゴミは業者に回収してもらったが、6万くらいかかった記憶がある。これは高すぎんかと思うし、やはりいまだに信じられない。

業者に回収してもらうために荷物を確認しなければ、そうでなくてもゴミなんか全然捨て切れてないし、キッチンは油まみれで掃除しなきゃだしで昨日、動かない体を動かして、仕方なく、どうしようもなく、日が沈みかけた頃にやっと、一週間以上ぶりの旧居に到着した。

玄関の前に小さな水たまりがあった。時計のいらない一日だったから、いつ雨が降ったかは分からなかった。午前だか午後だかに降った雨だった。

はじめに冷蔵庫に入っていた13本のソーセージを焼いて食べた。ザワークラウトも食べた。片付けがひと段落したところで冷凍餃子も食べた。キャベツと冷凍フライドポテトは捨てた。中濃ソースやシーザードレッシングはトイレに流した。もらったジャムも捨てた。これらはそもそも賞味期限をとっくに過ぎていた。

ちらりバスタブを覗き、シミが目につくが、一旦放置。結局風呂の電球も切れたまま三ヶ月以上放置している。僕は放置しても怒られなければ極力放置する癖がある。するとこういうことになる。

片付けは無数の休憩を挟みながらも、なんとかやるべきことをやりきった。丸々と膨れたゴミ袋が十個にはなった。ゴミ収集車が収集し切れなかったらどうなるんだろう。あと退去日に全く全然なんにも片付いてなかったらどうなるかも気になる。これは退去日に訊いてみよう。

建築模型の材料とか、よく分からん紙の束とか、着なくなった服とか。作業中に飲んだウィルキンソン可燃ゴミに放り込まないだけの分別はあったが、それ以外の曖昧な物は全部燃やすことにしてしまった。怒られないだろうか。ゴミ捨てで警察沙汰になった内モンゴル人を知っているのでビクビクしてしまう。

カーテンをはずす。床を拭く。クイックルワイパーは最高だ。ポスターをはがす。冷蔵庫の霜をとる。持ち帰る食器を鞄に入れる。ガスコンロを洗う。ガスの元栓を閉める。ゴミ袋を捨てる。

最後にフライパンが残った。大きくて、鞄には入らない。なんでもこれで調理していたから、まあ、よく焦げている。

そういえば。実家には、さらに黒いフライパンがあった。鉄製で、小ぶりな見た目の割にずしりと重く、焦げという焦げをまとっている。木の持ち手にも独特の鈍さが蓄えられている。かなり古いものだとわかる。

それは父の形見だと聞いたことがある。フライパンが形見というのは、いま思えば変な話だが、昔の僕は納得したらしい。詳細は知らない。とにかく、ほかに綺麗なものもあるのに、重たく焦げたフライパンはまだまだ現役だ。

別にいまさら何かを意識して使ってるわけじゃないだろう。父が亡くなったのは二十年以上も昔のことだ。だとしても、だからこそと言うべきか、母がほうれん草とベーコンを炒める朝を思い浮かべれば、実用的な形見もいいものだと思う。

さてこのフライパン、どうしたものか。