わたしのみだし

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走るカレー屋どこにいる?

f:id:t12u:20181101142629j:imageいとこの家で飼っていた犬の一匹が死んだ。僕によく懐いた犬だった。ノンちゃんと言う。もう一匹のダックスフンドは、突然いなくなった黒い友だちを想って泣くのだろうか。僕は別に泣かなかった。悲しくないわけじゃない。

僕の実家は結構広くて、お盆や正月には親戚一同、といっても13人くらい?が集まる。もちろんノンちゃんも私も家族だもんねって顔でいた。実家に帰るタイミングがいとこの家族とずれてしまって、ノンちゃんにはかれこれ1年くらい会ってなかった気がする。

これがもっと身近な人だったら、僕は泣くんだろうか?多分、連絡が来ただけでは泣かない。たまにやってくるぼんやりした時間に泣く。本当か?それも含めて、何が起こるかわからない。死ぬことについては考えるだろう。ちょうど今みたいに。

 

祖父はつい先月米寿を迎えたが、そのときは住みなれた家ではなく介護老人保健施設にいた。家に帰れるまでリハビリをする施設。柏駅から乗り換えて数駅のところにある。祖父と会う回数は、流石にノンちゃんより多かった。施設に入ってからは特に。そういう意味ではより身近といえる。

師匠さえ走り出そうとする季節だ、当然カレー屋も走るが、祖父はリハビリも振るわず車いすに乗ることが増えている。本人もしきりにここから出たいと言う。まともにリハビリしてたら、歩いてここを出られるようになる前に多分死んじゃうから、今すぐなんとか脱出したいと。僕は、死んだら天国まで歩いて行かなきゃだから、どっちにしろ歩けるようにならなくちゃと言っておいた。元気なおじいちゃんが見たい。しかし体のあちこちがボロボロで、痴呆も入った祖父が、かつてのように振る舞うのは難しいだろう。

 

バスの中で眠くなり、力を抜き頭をだらんと倒して外を見ている。並行して飛ぶ飛行機が宇宙に向かうロケットのようだ。実際には横に進むものを横に見たから上に向かっていくように見えただけで、なんなら飛行機は着陸態勢に入っていて宇宙との距離は開くばかりだが、僕もつかの間宇宙行きのバスに乗った気になった。

そんな簡単に宇宙に行けるわけがない。あんなに羽ばたく鳥でさえ、数十メートルが関の山なのに、羽ばたきもせず、フォトショップの空をドラッグで移動するように飛ぶ怠惰な飛行機が宇宙に行けるわけがないのだ。バスで寝落ちそうになっている僕は言わずもがな。自分の足で歩けるのに。結局、初の宇宙飛行機の打ち上げは二階建てのアパートにぶつかって失敗に終わった。

 

かかる夕日を弾くiPhoneが、薄く照らす知らない広告の女。常磐線の車内には、他には広告が貼られていない。すっかりウェブ広告に取って代わられている。斜陽産業だなと思った。