中学生が書いた廃村の記憶
夜明けか…。
…俺の名は《紅朱雀・アーネスト・狂死狼》。
俺の故郷、”二度と存在しえない”あの世界-まほろば-について、此処に記しておく。腐った世界の為に書くんじゃない。俺は俺の贖罪の為に…書かなければならない。急げ。我が愛すべき堕天使ルシフェルの血が忘却の彼方へ流れ消えてしまう前に…。
刻は大翼歴四百年二ノ月の初めに遡る。エル・ゼロの悲劇が間も無く世界を覆わんとしたあの瞬間、と言っても何のことだか分かるまいか。エル・ゼロの悲劇には、俺とルシフェル以外の誰も気づいてすらいなかった。気にすることはない。”それ”は平民の認知空間ではなく、《オトロ・レイア》におけるエントロピーの僅かな揺らぎでしかなかったのだから。
細かいことはいい。兎に角、俺はエル・ゼロの聖戦を生き抜いた。死闘の末、俺がエル・ゼロの心臓を砕いたことにより、カオスの支配は拡大をやめた。しかし、かつて《九頭龍》の一人であった俺がコスモスの肩を持つとは皮肉なものだな……。
めんどくさくなったのでやめます。厨二ワードってすげー頭使わないと出てこないな。
走るカレー屋どこにいる?
いとこの家で飼っていた犬の一匹が死んだ。僕によく懐いた犬だった。ノンちゃんと言う。もう一匹のダックスフンドは、突然いなくなった黒い友だちを想って泣くのだろうか。僕は別に泣かなかった。悲しくないわけじゃない。
僕の実家は結構広くて、お盆や正月には親戚一同、といっても13人くらい?が集まる。もちろんノンちゃんも私も家族だもんねって顔でいた。実家に帰るタイミングがいとこの家族とずれてしまって、ノンちゃんにはかれこれ1年くらい会ってなかった気がする。
これがもっと身近な人だったら、僕は泣くんだろうか?多分、連絡が来ただけでは泣かない。たまにやってくるぼんやりした時間に泣く。本当か?それも含めて、何が起こるかわからない。死ぬことについては考えるだろう。ちょうど今みたいに。
祖父はつい先月米寿を迎えたが、そのときは住みなれた家ではなく介護老人保健施設にいた。家に帰れるまでリハビリをする施設。柏駅から乗り換えて数駅のところにある。祖父と会う回数は、流石にノンちゃんより多かった。施設に入ってからは特に。そういう意味ではより身近といえる。
師匠さえ走り出そうとする季節だ、当然カレー屋も走るが、祖父はリハビリも振るわず車いすに乗ることが増えている。本人もしきりにここから出たいと言う。まともにリハビリしてたら、歩いてここを出られるようになる前に多分死んじゃうから、今すぐなんとか脱出したいと。僕は、死んだら天国まで歩いて行かなきゃだから、どっちにしろ歩けるようにならなくちゃと言っておいた。元気なおじいちゃんが見たい。しかし体のあちこちがボロボロで、痴呆も入った祖父が、かつてのように振る舞うのは難しいだろう。
バスの中で眠くなり、力を抜き頭をだらんと倒して外を見ている。並行して飛ぶ飛行機が宇宙に向かうロケットのようだ。実際には横に進むものを横に見たから上に向かっていくように見えただけで、なんなら飛行機は着陸態勢に入っていて宇宙との距離は開くばかりだが、僕もつかの間宇宙行きのバスに乗った気になった。
そんな簡単に宇宙に行けるわけがない。あんなに羽ばたく鳥でさえ、数十メートルが関の山なのに、羽ばたきもせず、フォトショップの空をドラッグで移動するように飛ぶ怠惰な飛行機が宇宙に行けるわけがないのだ。バスで寝落ちそうになっている僕は言わずもがな。自分の足で歩けるのに。結局、初の宇宙飛行機の打ち上げは二階建てのアパートにぶつかって失敗に終わった。
かかる夕日を弾くiPhoneが、薄く照らす知らない広告の女。常磐線の車内には、他には広告が貼られていない。すっかりウェブ広告に取って代わられている。斜陽産業だなと思った。
絶望、死にたいから前向きに
「絶望して死にたいからこそ前向きに考えよ!がんばろ!ね?ファイッ!」みたいな内容かと思ったら「絶望で死にたい状態から立ち直っていま前向きになれました」っていう記事だった。そりゃそう。前者の記事鬱加速させまくり。
家で結構な音量で音楽流しがち。これは外にどのくらい漏れているのか。いままで何度もちらりと頭をよぎった考えだったが、よぎるままにしていた。が、さっき何でもやっちゃうもんね俺何でもやっちゃうもんねモードになったので、玄関の外からBluetoothのスピーカーをいつもの音量で再生した。すごく聞こえた。まいったな〜。でも前向きっ!
ちなみに一昨日の何でもやっちゃうもんね俺何でもやっちゃうもんねモードでは深夜パンツ一丁で郵便受けの中身確認しに行った。メルカリで買った本が届いてた。
その前の同モードではメルカリで本買ったけど買った後に初版だって気づいて即第2版を買った。いずれも600円だったが、松屋のブラウンソースハンバーグ定食と同じ値段と考えればとんでもないやっちゃうもんね度だ、これは。返せ!俺のブラウンソースハンバーグ定食を返せ!
相変わらず技術書しか買ってないが、そもそも技術書ってなんだよと思った。今。Live Thinking。そして生きてる。ゆえにデカルトリスペクト。
男は漢字でものを考えたがる
まったく〜!男は〜〜!!
確かに男はみんなキングダムが好きだし、ハンターハンターでは念だの凝だの漢字のオンパレード、果ては「見る」ことを「見(ケン)」などと言う友人もいるし(そいつは内モンゴルの血が流れているから、血が騒いでるんだなと思って僕は見てる)、「男は漢字でものを考えたがる」、あながち間違いじゃないのかもしれない。
適当な具材たくさん入れて煮込みうどん作って盛り付けてテーブルに持ってくときに、今このうどんを落として床にぶちまけたら計り知れない悲しみが僕を襲うな…と思った。
友達の家では、20歳の誕生日になったら開かずの扉の奥に来いと言われる。それは正真正銘開かずの扉で、彼は生まれてからずっとその家に暮らしていたが、扉の奥を見たことは一度としてなかった。扉は電子ロックになっている。力技も小細工も通用しない。彼はなんとか誕生日までに扉の開け方を見つけてやろうと、あの手この手で扉の解錠を試みる。
彼は前日から粘り強く扉をどうにか開けようと頑張っていたが、まもなく誕生日、どうにも開ける手立てが見つからない。このままでは誕生日の丸1日かけても開けられそうにない。焦る彼の目の前で、いとも簡単に扉が開いた。
日本の法律上、人間が歳をとるのは誕生日の前日の午後12時である。そのため、誕生日と呼ばれる日にはすでに1つ歳をとっている。誕生日を迎えたその瞬間、つまり20歳になった瞬間。自動的にセキュリティシステムに彼の権限が付与されて、彼も扉を開けられるようになるのだった。扉の奥のバーカウンターでは祖父母、両親、兄と姉がそれぞれのドリンクを手にこちらを向いて「誕生日おめでとう〜!」と祝福した。っていう夢をみた。権限て!ズコーッ。
悲しみ和らげる太鼓と経
太鼓や経で悲しみが和らげられたことないな〜。
朝7時ごろ、松屋の朝メニューのひとつ、ミニ牛めしお新香豚汁セットを食べた。430円。
普段の僕なら「”ミニ”牛めし〜!?笑止!」と言って一笑に付すところ。しかし前日の雨が上がり今清々しい青空が広がるひんやりとした朝、僕も「小さくたって…いいじゃないか…」という気持ちになり、ついボタンを押してしまった。
ミニ牛めしお新香豚汁セットは最高だ。まずこれが一番大事なのだが、卵が付いていない。僕は卵が嫌いなので。卵が嫌いな話については人生でもう飽き飽きするほどしてきたのでここでは触れません。もしこれを読んで僕の卵嫌いを初めて知った人、今後僕と話をする機会があったとしても、絶対に卵の話題を出すんじゃない。その瞬間僕はあなたを「卵の話をする側の人間」とみなして距離を置く。
卵の話はもう二度としないとして、引き続き、ミニ牛めしお新香豚汁セットのよいところをお伝えしよう。ひとつ予想外だったこと。豚汁がデカい。思いの外も思いの外デカい。それでいて具がしっかり。ミニなんて言うから風邪ひいた細身の6歳女児が食べるようなスカスカのお子様セットかと思いきや、これ。「松屋の豚汁はすごいんやぞ!」と全国民に主張する松屋フーズマーケティング部門の渾身の一撃である。これには僕もおったまげ。なんなら寒いくらいの朝にこの豚汁は、この豚汁は、恋に落ちるぜ…。魅力は豚汁だけじゃない。牛めしも当然おいしい。牛めしと豚汁という組み合わせもいい。牛と豚。山の幸と山の幸の奇跡の出会い。僕は、君たちが大好きだ。
これは今回に限った話かもしれないが、牛めしがほんのり甘い。この味付けが店員のおっさんの独断によるものだとしたら、人の少ない朝だからワンオペで回しているこのおっさんが「こっちの方がうまいやろ」なんて勝手にやったことだとしたら、チクショウ、なんて素晴らしい世界だ。24年間生まれてからずっと閉じていた目が、ようやく開かれたような心地だった。
と考えていたところでイヤホンが外れそうになる。この前、つっても数ヶ月前にイヤーピース買って付けたのが、いまだにピッタリなのかどうかよく分からない。イヤーピースって買うと全部のサイズが入った状態で届くが、いらないサイズもある。特定のイヤーピースだけ買うような人はすでに自分に合うサイズ、少なくとも合わないサイズを分かっているのだから、全部のサイズ入れなくてよくないか?僕は小さすぎるのは無理だ。それでいて1000円弱したような気がするが、これはTシャツ買ったらXSからXLまで全部届いて値段が数倍、みたいな話じゃないか?は〜?ふざけるな!騙された!最低の朝だ、帰らせてもらう!ごちそうさまでした!!
アサギマダラ飛来
アサギマダラってこれか。
アサギマダラと似た言葉にガラムマサラとドグラマグラ、次点でナルガクルガがあります。これを利用して「アサムマグラゲーム」を考えました。
【アサムマグラゲーム】
2人のプレイヤーが向かい合い、先手と後手を決めます。先手をAさん、後手をBさんとします。この二人が交互に単語を言い合うゲームです。
まずAさんが「アサギマダラ、ガラムマサラ、ドグラマグラ」のうちのいずれか一単語を言います。次にBさんがその単語以外の2つから一単語を言います。最後にAが残った単語を言います。三単語を全て言い終わるまでを1セットとします。セットが終わると、次の手番の人から新しいセットを始めます。これを敗北条件を満たすまで繰り返します。
自分のターンで「アサムマグラ」と言うことで、三単語のいずれかを言うことをパスできます。ただし、パスができるのは1セットの間にプレイヤーのうちどちらか1人1回だけです。
敗北条件は、すでに言われた単語やアサギマグラのような存在しない単語を言うこと、1セットで2回目のアサムマグラを言うことです。
テストプレイはしてませんがほどほどに難しそうなのでみなさん老若男女人数場所時間問わずあらゆる場においてアサムマグラゲームやろうぜって提案してみてください。
実家から送られてきたもののなかに、「チーズスティック黒胡椒入り」というのがあった。その下に「魚肉シートで黒胡椒入りチーズをはさみ食べやすいスティックにしました」と書いているが、魚肉シートでチーズを挟んでスティック状にしたのは調べるまでもなくこの商品が初めてではないし、なんなら黒胡椒入れてるのも他に見たことあるし、とするとこの商品の独自性は「魚肉シートでチーズをはさんでスティック状にしたものは食べやすい」という評価を下したことでしかないのだなあと思いました。誰も幸せにならない気づき。味は最高でした。素材にこだわったことを言えばいいのに。アサムマグラゲームやればいいのに。
色々考える詐欺犯、次は果物
うわ、特殊詐欺被害だ!気をつけろ!
知らない事がいっぱいある。
自転車のパーツの1つにコグというものがある。自転車の、コグ。僕のかわりに漕いでくれ。
ダンスの振り付けって、音楽みたいに譜面化してるのかな。ダンスのことなんも知らん。振付師の頭の中にしかなかったらめちゃ不便そう。音階やコードみたいなルール?共通言語?があるんだろうか。それとも体操みたいに技名がある?「フライングデスピエロからの3こすり半フィニッシュ、一歩下がって田中ブリュッセル凱旋」みたいな。
近所に金を買い取る店があって、今日の買取価格が店頭に出ていた。大学までの通学路にずっとあったはずだけど、全然気づかないくらい、ひっそりと。ここで価格を見て、今日は売ろう、今日はやめとこうって決めてる人がいるんだろうか。
特殊なものたち。こういうところに詐欺が潜んでいるかもしれません。気をつけましょう。